死なせるな、憲法 2003.11.10徳島新聞
本紙朝刊の「おくやみ」欄は、けっこう読まれているようだ。私はめったに見ないが、必ず目を通す友人がいて、彼から「○○のケン坊が亡くなったぞ」などと知らされるケースが多い。
そんな時、故人の年齢が自分に近いほど悼みも痛みも大きい。かつて君が望み宣言した夢やロマンがまだまだ実現できてないじゃないか、と無念に思う。満身創痍の君を見るにしのびないが、もっといっしょに生き抜いて欲しかった、と悔しさが残る。そして、君に対して理不尽な攻撃を続けてきた連中を憎み、守りきれなかった国民に失望するのだ…。あれ、話が飛躍してきたぞ。
そう、日本国憲法の話。彼が生まれたのは1946年(公布)。二つ違いで、私にはとても親近感が強い。しかし、年上の首相も年下の自民幹事長も嫌悪感を持っているようだから、憲法が好きかどうかは年齢には関係ないようだ。それに彼らの周辺には、これはアメリカに押し付けられたものだから「自主憲法」を制定すべきと主張する議員が増えてきたのも周知のこと。
だから今回の選挙で、ついに自民党が「二年後の改憲」を公約したが、私は驚きもしなかった。加えて、野党第一党までもが平気で「創憲」などという造語を口にするのにも、驚きはなかった。だが、「パンドラの箱」を開けさせてはならじ、という警戒心と危機感は強まった。
一昔前なら「憲法軽視」の放言一つで内閣がつぶれたものだが、いよいよ改憲論者がのさばり出したように見える。ただ、彼らの「あせり」も感じられるのだ。
これまでは、建前として「憲法遵守」を言わねばならず、閣僚たちも実は困っていたはずだ。泥沼のイラク戦争という抜くに抜けないトゲが、ノドぼとけに突き刺さったままなのだから。国会質問にも、今の憲法がある以上、世界で冠たる軍備増強国でありながら「海外での戦争には加わらない」「戦闘地域には自衛隊を送らない」とまでしか答えられなかったのだから。
「世界中で堂々と戦争ができる国になりたい」連中には、特に第九条(戦力不保持・交戦権の禁止)が邪魔で邪魔でしかたないだろう。歴史の皮肉に苦笑しながら、アメリカからの「押し付け」が昔は憲法で今は戦争なの?って問いたくなる。
いつも私は、身体を張って反戦をつらぬいた「○○のケン坊」や「日本のケンポウ」は、もっと敬意を払われ尊重されるべきと思っている。その進歩的な精神の完全実現を願う世論は、今でも微妙ながら多数派なのだ。「創憲」なんかを破棄して、いっそう壮健であってほしい五十代。そう簡単にくたばらせてはなるまいぞ。「おくやみ」欄に載せるのは、戦争と消費税の方にしてほしい。