生存権の危機 2004・5・12掲載 徳島新聞夕刊
いかにも脳天気だったと思う。20代のころの私だ。
保険や年金にまったく関心がなく、また経済的な余裕もなかったからだろうが、預貯金ゼロ状態を続けていた。
そして、公務員からの転職で給与が三割低下。その半年後の結婚も借金16万円からのスタートだった。
だが、将来に対して何の不安も感じず、「明るく楽しい」生活を満喫していた。
持ち家なんて不要さ、公営住宅があるじゃないか、なあに、収入が無くなれば生活保護を受ければいいさ、
自分たちが高齢になるころには福祉もずっと向上しているだろうよ、
何といってもこの国には憲法25条(生存権と国の保障義務)があるんだから、という感覚だったのだ。
それらがすべて「幻想」だということに遅ればせながら気づいたのは、40代になった頃のように思う。
年金や福祉の実態を知るにつれて、その大変な貧困に薄ら寒さを覚える毎日になった。
私の場合はほとんどの期間が国民年金なので、月額6〜7万円だろうし、しかも満額もらえるのは64歳からのようなのだ。
そんな「将来の私」をも含む経済的弱者への厳しい追い討ちとなるのが、自民・公明・民主の「三党合意」にそった「年金改悪法」。先ず一つ、国会の審議なしで掛け金が13〜14年も連続して自動的に引き上がられること。
その上、月額3万円程度の低額受給者もすべてが一律15%カットというのだから凄まじい。
国民ほとんどの生活を圧迫するのは明らかだ。
年金制度への信頼感を失い、かけられない人やかけない人を増やし、空洞化現象に拍車をかけるのは間違いない。
さらに問題なのは、ポスト小泉内閣では年金の財源に消費税をあてるというもの。
今から三年後には消費税大増税がもくろまれているのだ。
このような過酷で重要な法案が、「本格的な論議が十分に行われたとは言いがたい」と厚労相が語ったような状況のままで、強行的に決められるのは納得がいかない。
世論調査で今回の「年金改革」を評価しない人が70%近くに上るのも当然だろう。
「本格的な論議」をしなかったのはその内容が衆知されるほど「反対」が広がるのを警戒してのことだろうし、
十分な論議ができなかったのは「過納姉妹」ならぬ「未納兄弟」議員がゾロゾロ出たことによる。
納入義務を知ってて納めなかったとしても、無知や軽視によるミスだったとしても、法案提出の資格さえないと言わざるをえない。
「うっかり」のオンパレードには「がっかり」で、「しっかり」してほしいと思うが、
たかが官房長官や一党首の辞任と引き換えに悪法成立、なんてやはりごめんなのだ。(修)