参拝中止に乾杯 01.8.8徳島新聞 

 

 

 

 難しいことを言わない人気者のパパと、口は悪いがしっかり者のママがいる。 ボケがまだ進んでいない爺さんや、聞き分けの良い優秀な息子もいる。 たとえ親戚に宗教一家やケバい叔母がいても、家庭のゆらぎや先行き不安を抱える現代人にとって、それは理想的な一族に見えるかもしれない。 そんな明るくて平和な「サザエさん一家」のようなイメージとぴったり重なるのが、小泉内閣の強みではないか。

 

 しかし、好事(こうじ)魔多し、ということもある。 慶事続きだった一家にも、真夏だというのに秋風やすきま風がかすかに吹き始めた。外務省人事での「パパとママ」の意見の食い違いの露呈だ。 それはどうにか「夫唱婦随」の形で収まったものの、きっとしこりは残るだろう。

 

まだくすぶっている「歴史教科書」問題とともに、首相が総裁選で公約した「靖国神社への公式参拝」問題も火種だ。 世論は賛成3割・反対7割といったところだが、内閣では田中外相や公明大臣が反対派か。

 

靖国神社には、天皇制確立のための国内戦で命を落とした官軍兵士が、まず(まつ)られた。 その後に、侵略戦争での戦死者が「神」にされて続いた。西郷さんや空襲犠牲者は除外されている。 そして、内証で先の大戦でのA級戦犯が加えられた。お国のために死ねと「究極の痛み」を強制した者もいっしょくた。 そのあたりがウサン臭いと思う。

 

「尊い命の犠牲の上に今日の日本がある」という首相発言には異論はない。 戦死者を心から追悼し不戦を誓うことは当然だ。しかし、それがなぜ「靖国参拝」なのか、私にはよくわからない。

 

一宗教法人への政府による特別扱いは憲法違反だという論議はさておいても、「侵略されたアジア諸国の人々の気持ちを逆なで」する行為は慎み「首相は参拝をとりやめるべきである」という、徳島新聞社説の方がずっと理解しやすい。 15年前に、当時の中曽根首相が公式参拝を中止したときに出された後藤田官房長官の談話もわかりやすい。 「平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがある」ので公式参拝をやめる、と明言したものだ。

 

中曽根さんが「DNAが同じ」というのが、石原都知事と小泉首相。 彼ら仲良し三人組がどこかの料亭で「乾杯」するのは結構だが、「参拝」はもう結構。 (修)

 

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