踊りの後で 1997.8.22 徳島新聞夕刊「視点」 

 

 

今年もまた、一日ずつ踊る阿呆と見る阿呆になって阿波踊りを楽しんだ。遊迷連の一つ、わが「とちら連」も「鳴り物入り」で結成して来年ではや十周年。気の早い面々が、来年は浴衣から法被に変えようなどと、鬼が笑う話をしている。材質はやっぱり綿100%がいい、などと。

 

「綿の法被」と耳にして、ふと「絹布の法被」が思い浮かんだ。50年ほど前には、ケンプのハッピと「憲法の発布」を聞き違える人が多かった。そんな笑い話を思い出したのだ。

 

そういえば今年(‘97)は、日本国憲法施行50年。押し付け憲法などという悪罵を繰り返し受けながらも、しなやかにたくましく、国民の間に根を張ってきた憲法。再軍備への足かせとして機能してきたことは言わずもがな、だ。

 

だからであろう、この世界に誇れる平和憲法が、またも攻撃されている。一番のターゲットは、いつも第九条。「武力による威嚇と武力の行使は永久に放棄する。戦力は保持しない。国の交戦権は認めない」というアレ。

 

日本国憲法というものがあり、こんな条文があることを初めて知ったのは、30数年前だ。きっぱりとして、堂々として、なんて分りやすいんだろうと子供心に感動した記憶がある。すなおに読めば、たいていの人は賛同するはずだ。

 

でも、世の中には、それでは困る人がいるようだ。条文に縛られてやりたいことができないから「改正」を言うんだろうと、長じて納得したものだ。私はだから、現憲法にまったく不自由を感じないし、それどころか、むしろ優れた理念を徹底してほしいと願ってきた。九条を筆頭に「思想・信条・言論・表現の自由」の条項など、まさに国民の宝だ。

 

最近「新情報センター」の憲法アンケートの結果を知った。ある政党の委託だそうで、まゆつばという気もしたが、それでも「76%が憲法改正に賛成」という。やはり、ドキッとさせられる。すなおに憲法を読み、すなおに考えればそんなはずはないのにと思っていたら、やっぱり「仕掛け」があった。

 

平和や民主主義をうたう条文の是非を正面から問いかけるのではなく、「時代に合わせて憲法を改めることに賛成か反対か」という設問への、「すなおな」回答なのだ。

 

「時代に合わせて」変えるというのは、一般論としては世界の常識だし、私も「賛成」になる。ちょっと遠い将来の話として、だ。でもこれで改憲賛成派に入れられても困るんだよね。

 

我に帰ったら、阿波踊りの浴衣からハッピへの「改正」は、まだ論議中。ハッピーで平和な光景だった。

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