元の木阿弥にするな2003.3.27徳島新聞掲載
せっかくの努力が水の泡になり、前の悪い状態に戻ることを「元の木阿弥」という。戦国時代にある城主が急死、後継ぎが幼かったので混乱や摩擦を避けるために木阿弥という盲人を「影武者」的に使って非常事態を乗り切ったものの、三年後に真相が明るみになり木阿弥はただの町人に戻った、というのが出所のよう。しかし、これは確かではなく、むしろ金ぴかの阿弥陀像のメッキがはげて元の木仏に戻ったという方が連想しやすいから、こっちが本家かもしれない。
折りしも世界では、イラクに対する国連査察など平和を守る努力が、ブッシュに冷水を浴びせられて水泡に帰しそうな感がある。米英の暴走が国連憲章に風穴を空け、新たな戦争が始まってしまった。開戦早々にフセインの影武者の存在が取りざたされたりするあたりも、「元の木阿弥」的推移で、古今東西人類が繰り返してきた過ちをまたもや、とやりきれない思いがする。
開き直った口調で自らの無為無策を糊塗するように、イラク侵攻への支持を鮮明に言明した小泉内閣は、わが日本をいまやはっきりとイスラム勢力の敵国にさせてしまった。今後は、国内の米軍基地がある地域だけでなく、いつどこで日本人が報復テロの標的にされるかわからない(ゾ~っ)
戦前の日本のように「鬼畜米英」なんて叫ぶのは時代錯誤だが、自主性なき外交はいただけない。ある週刊誌によると、歴代首相の対米従属度は、橋本70%→小渕80%→森95%と上昇。小泉さんは120%とあった。「米国の顔色をうかがうだけで、まるで召使のよう」だって。世論に後押しされピカピカ光っている「仏」大統領と比べて、「メッキのはげた木仏」では情けない。
元の木阿弥にしてはならないと強く思うのは、徳島県政も同様。こちらでは野党の自民・公明らが知事不信任を可決してしまった。少数与党で苦心さんたんしながらも、第十堰の可動堰化など無駄な工事の中止、県内業者への優先発注、少人数学級の実施、さらに第三者による汚職調査団の設置と、徐々にではあるが正常化や改革が進んできたところなのに…。「元の木阿弥」になることをどれだけの県民が望んでいるだろうか。多少の弱点を抱えていても、「角を矯めて牛を殺す」ようなことになれば、元も子も無くするのだ。
ここはなんとか、世界では人類の英知を結集し、徳島では県民の良識を発揮して、過ちては改むるに憚ることなかれ、覆水よ盆に帰れ、といきたい。戦争の即時中止と県政改革の再出発を願い、理性の声を発し続けよう。(ブッシュとブレアにブーイング、自民・公明にジコウありや、って)←カッコ内は新聞では削除