文殊(もんじゅ)」的判決20032・1 徳島新聞夕刊 

 

こういう判決が出ると、「あ〜、やっぱり裁判所は国民を守る砦だ」と嬉しくなる。もっとも通常は、国是とか行政への異議申し立てはほとんど門前払いなのだが…。

 

先日の名古屋高裁金沢支部での「高速増殖炉もんじゅの設置許可は無効」という判決は画期的だった。国の審査が不十分で、制御不能・炉心崩壊の重大事故を起こす恐れがある、という地元住民の主張を完璧に認めたのだ。原発がらみの裁判で住民側が完全勝訴したのは初めてではないか。裁判官が、「もんじゅ判決、どんなもんじゃ」とつぶやいているようだ。

 

私たち素人なんぞには理解できまいと言われそうな高速増殖炉とは、核燃料の再処理でつくられるプルトニウムを「増殖=さらに増やす」装置のこと。その愛称が「もんじゅ」で、「夢の原子炉」ともてはやされてきたのだが、95年にナトリウムもれと火災事故を起こし技術的な未熟さを露呈、運転中止に至ったものだ。重大事故をきっかけに相次いだ原発のトラブル隠ぺいやデータ改ざんも、国民の間に不信や不安を「高速で増殖」してきた

 

だから、そこらですでに国の原発推進・核燃料サイクル路線が破綻したはずなのに、潔く手を引かず強引に続けようとするから裁判になり、「人間の生存が脅威にさらされる」という格調高い判決につながったのだ。

 

米英など多くの国では、もはや安全性への疑問は払拭できないとして、高速増殖炉を含む原発の縮小・撤退の方向を打ち出している。それでもまだ開発を続ける中国やロシア、そして日本の動きは世界の流れに逆行していると言えよう。

 

もちろん画期的とはいえ今回の判決は原発そのものの否定にまでは言及していない。しかしながら、時代錯誤的な原子力依存行政に警鐘を鳴らしたのは明々白々。頂門の一針ととらえて原発推進を再検討すべきは当然と思うのに、敗訴した国側はただただ周章狼狽し、霞ヶ関では「遺憾、遺憾」の大合唱だ。

 

それではイカンのに、経済産業大臣も文部科学大臣もかたくなな姿勢を崩さず、上告した。「もんじゅ設置許可や安全審査は、当時の最高の知見をふまえた」と不満たらたら…。汗をたらたら流しながら「もんじゃ焼き」を食べ、ビールで乾杯なら最高だが、完敗にめげず「最高裁があるさ」というのはどうも国民一般の感覚とズレている。

 

高速増殖炉「もんじゅ」はどこから取った名前か寡聞にして知らないが、私の知っているそれは「文殊」しかない。「智恵の徳を受け持つ菩薩」のこと。ぜひ今度は自公保三党の党首で「文殊的識見」を示してほしい。三人よれば…のはず。

 

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