水にまつわる話 2000819 徳島新聞 

 

 

 

 「前畑ガンバレ」や「フジヤマのトビウオ」は百年も昔のことではないのだ。 古橋広之進さん(日本水連会長)をテレビで見たとき、それを実感した。 シドニー五輪の代表選考での一騒動。権威に逆らって「水をさした」千葉すずさんに感心したが、古橋さんたちと「水掛け論」にはならず決着した。 後は「水に流して」日本選手団の奮闘に期待しよう。

 

 水に流すのはいいとしても。 海や川で水に流されるのは怖い。 鉄砲水の事故が先日あったように、私も若いころ、無鉄砲なキャンプや海水浴で命を落としそうになったことが幾度かある。 水難事故は、土用波の日曜に特に多い。友を亡くした痛恨の体験がある。

 

 二十数年前、県南の美しい海でその事故は起こった。 風が強く波の高い日だった。遊泳客が他になく貸し切り状態の海。 はしゃぎながら沖に向かって泳ぎだしたところ、信じられないほどのスピードが出る。 まるでトビウオやイルカになった気分。 でもそれは錯覚。 泳ぎ疲れたときは、海岸線が見えないほどになっていた。 急に怖くなって戻ろうとしたものの、今度はいくら水をかいてもけっても進まない。 その湾では沖へ向かってすごい勢いで海流が循環していたのだろう。

 

 もう泳げないと半ば観念して、顔に水をかぶりながら仰向けに浮かんでいた。 その数年前に高知の磯で荒波にもまれて打ち身すり傷、血みどろになったことがあるが、水死するのはこんなときなんだろうなと不思議に冷静だった自分を、また思い出していた。

 

 その時、奇跡が起こった。なんと、電柱が流れてきたのだ。 今はもう見ることのない木製の電柱だ。 溺れる者はワラをもつかむというが、6メートルもの電柱だ。 このときばかりは無神論者の私も、見ず知らずの「神」に感謝した。 長く感じたが、20分くらいだろう、かなり流されて岸にたどりついたのだった。

 

 その時、遠くから聞こえてきたのが「溺れとるぞ〜」という地元の人たちの声、声。 いったい誰が? ゾーっとして、頭の中が真っ白になり、元の浜辺へ駆けつけた。 人の輪の中に、友の体が横たわっていた。 人工呼吸のかいなく彼は亡くなった。 こんな波のときに泳ぐなんて…、非難と同情のまじった声を繰り返し聞いた。 後で、私たち十数人のグループのほとんどが溺れかけたと知った。

 

 私が遠泳をしなくなったのはそれからだと思う。 何事も恐れが過ぎては人生の楽しみは半減するが、自然も人も健康も決して軽く見てはいけないのだ。 「恐れるな、あなどるな」、これが今も、水難で覚えた私の人生訓になっている。

 

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