黄ばんだハンカチ2004/03/12徳島新聞
高校の担任は、教え子の全員に英語名をつけて呼んでいた。他のはほとんど忘れたが、好きだった子は「アリス」で、私は「オスカー」だった。だからか、アカデミー賞にも権威を感じない大人になったけど、オスカー像を手にして歓喜する映画人を見るのは楽しい。残念ながら受賞を逸した山田洋次監督にも、変わらぬ長い健闘に心から拍手を送りたい。
その山田さんの名作の一つに『幸せの黄色いハンカチ』がある。高倉健さんと倍賞千恵子さんの夫婦愛に思わず涙し、純な心がいっそう洗われた。こともあろうに、その名画を貶めるような気にさせるのが、主に旭川市内で組織されている「黄色いハンカチ運動」。経済界や地元名士などが力を入れている、イラク派遣の自衛隊員の無事帰還を祈り商店や住宅の軒先に黄色いハンカチを掲げようという運動のことだ。
あなたを愛して待っていました、という映画のラストの感動と、誰もが願う心情とをつなげオーバーラップさせる意図を感じる。一人だって死んで欲しくはないし、一人も殺して欲しくないのは自衛隊員の家族だけでないのは当たり前なのだ。ただ、こういう「運動」には、私だけでないと思うが、うさんくささを感じてしかたない。
旗振り役をしている人たちに問いたいのは、ハンカチを飾る前に妻や子どもを泣かせての派兵を推進したり容認したりはしなかったか、ということだ。まんまと派兵し、もう行ってしまったのだから後は無事を祈ろう、という「既成事実化」の後押しになってはいないか、ということだ。
私にはもちろん現場体験は無いが、「千人針」を通行人にお願いする場面を映画ではよく見た。お国のために立派に死んでこいというのでなく、生きて帰ってきてという血涙を絞るような縁故者の祈りだったのが、日清・日露戦争の頃には国防婦人会などの「統一行動」として組織動員されたと聞く。「死線を越えて」という意味のダジャレで「五銭」硬貨を縫い付けたりもしたそうだ。
それを持って行ったから死ななかったという話を聞かないものだから、黄色いハンカチも気休めであり、精神面での「国家総動員」的運動なのだろうと思ってしまう。やはり、祈りだけではなく小さいことからでも、反戦・平和の声を上げ足を出すべきだろう。
近いところでは、3月20日に全世界で政党支持の枠を越えた集会や行進がある。徳島でも、藍場浜と新町橋ボードウォーク公園で「もう戦争はいらない」を合言葉にした市民主催のイベントが計画されているようだ。同胞が「黄色い軍隊」などと憎まれる前に、私も何かやらねばと思う。もうクチバシも黄色くないし。(修)