肩書無用宣言2002・2・21 徳島新聞
名刺にも人柄が表われる。
「姓名だけ」というのは潔さを感じさせて好感が持てるが、住所記載さえないことには不親切さを感じる。
一方、裏面にまでありとあらゆる肩書きを並べ立てているのは、大げさで重苦しい。
まして、それら立派な?肩書きの中に「元」とか「前」とかがいくつも混じっていると、滑稽に感じる。
世間には、肩書きで人の軽重を判断する方々が多いからだろうけど…。
実は先に、私も「前○○長」の立場になり肩書きが取れたのだが、肩の荷が軽くなっただけで、青臭い決意や情熱には何の揺らぎもない。
もともと「長」には全く無関心だったから当然のことだ。
中学高校の卒業文集の一言欄でも、友人の多くが「天下を取る!」などと「青雲の志」を書いていたのに、
私は「行雲流水のごとく」と気取ったり、「起きて半畳、寝て一畳」と半畳を入れたりしたものだ。
御幼少のみぎりに?周囲の大人から冗談で天才神童なんてもてはやされた、その反動かも知れない。
就職してからも「○長になれと言われても断るけんナ」が私の口癖だったと、亡母がよく笑ったものだ。
ところが30年前に、ある団体の「○○長」の話には乗った。
そして、転職して天職にめぐりあった、とうらやまれるほど楽しく勤めてこられた。
ずいぶん気楽に気軽にやっていたつもりだが、年に一度くらい発熱した。
「智恵熱だ」と言いながら出勤したのも懐かしい思い出だ。
だが、ともかく欲の無い「三つ子の魂百まで」で、今も「人間いたるところ青山あり」の心境は当時と変わらない。
ところで、そういった肩書や私欲への執着が全く無かった方たちを、昨年も数人見送った。
その一人が、日本共産党の「元」徳島県委員長・武知寿さんだ。
今でこそアカ呼ばわりする偏見は薄れたが、50年前はいかばかりであったか。
先日「偲ぶ会」に列席させていただき、武知さんの「優しさと強さを貫いた生涯」に改めて感銘を受けた。
たばこ「しんせい」を愛した彼の人生はまさに「神聖」そのものに思える。
後塵を拝して、「肩書の無い」後半生を私も意気高く生きよう。肩ひじ張らずに宣言しよう。
「生きる。世のため人のため、そして自分のために」。