核兵器に引導を 1998.5.22徳島新聞 

 

 

 笑えない話だが、かつては、ノーモア・ヒロシマという英語を「野村ひろし」と聞き違えた人がけっこういたそうだ。原爆の悲惨さが知られ、反核運動が広がるにつれて、もはやそんな鈍感な誤解は無くなっただろうが、それでも米軍の核持ち込み疑惑などを何ら意に介さない人は多い。

 

火の粉がわが身に降りかからないうちは、高みの見物を決め込みがちだ。まして遠い外国の出来事となると我関せず、という思いも分からなくはない。ただでさえ、恐ろしい「重税放射能」から身を守るのに日々汲々としているのだから。

 

インドが、24年ぶりに核実験を強行した。これまで、どこの軍事同盟にも加わらない「非同盟諸国」の中心になり核廃絶を唱えてきたインドが、国際世論を裏切った。ついこの前まで首都ニューデリーで広島・長崎の原爆展を開いたりしていたのに、三月に発足したばかりの排他的な新政府がとんでもないことをしでかした。

 

国内向けには大国意識をくすぐり支持基盤を固める狙いが、対外的には「なめるんじゃないよ」という国力の誇示と、核保有国の身勝手な核独占への反発があるに違いない。

 

でも、こういうのは本当は不名誉で愚かな行為なのだ。悪魔の兵器をだれもが持てない世界にすべきなのに、オマエが持つならワシも持つというのは、時代に逆行する危険な発想だと思う。

 

広島・長崎型原爆にして百発分にもあたる核戦力を手にしようとするインド。そんな祖国を見たら「非暴力」を貫いた独立の父・ガンジーも、核を無くす運動に熱心だったネール元首相もさぞかし慙愧に堪えないことだとう。

 

今回の暴挙に対して、当然ながら国際世論は非難の大合唱だ。豪・加などがさっそく駐インド大使を召還した。わが国も、衆参両院で非難決議を全会一致で採択した。アメリカも厳しい経済制裁をとる。

 

だけど、どうもいつも日米政府の言い分は説得力を欠くのだ。当のインドにすれば、世界最初の核戦争被害者でありながら核廃絶条約に賛成しない日本や、最大最強の核保有国アメリカからの非難は「何言ってるの」という感じだろう。

 

折りしも、10万人以上が参加する草の根運動、八月広島への「国民平和大行進」の真っ最中だ。「非核の政府を求める会」や「ヒロシマ・ナガサキからのアピール署名」も粘り強く広がっている。私も賛同する。みんなで渡そう、核兵器への「引導」と、次世代への平和な地球。

 

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