核ヘイキはごめん 2001.3.25 徳島新聞 

 

 

 

 草木も眠る丑三つ時。万物の呼吸が止まったような江戸の町。その闇の中を提灯が近づいてくる。酔っ払った町人のようだ。閃光が走り、断末魔のうめき声が上がる。このところ瓦版を賑わしている殺人鬼の仕業だ。

 

手馴れた感じでその男は、真新しい長刀にベッタリと付着した血のりを拭き取り、まったく平気な様子でゆっくりと立ち去る。頭巾で顔を覆ってはいるが、金糸銀糸が編みこまれた派手めの着物からして、一介の素浪人ではないことがわかる。その辻斬りの「試し切り」に使われた刀はたいてい「妖刀・村雨」。でなくとも、新品であることは間違いない。賄賂として贈られた新刀の切れ味を試すだけの非道だ。

 

昔の東映映画や少年雑誌でよく見たこういう光景がふと浮かんだのは、アメリカ国防総省の「核兵器使用計画」報道から。根室のムネオや徳島のトシオが現代の瓦版をにぎわしている陰で小さく扱われた重大なニュースだ。

 

平気で使える小型核爆弾の開発に力を入れる、と大統領が言明した。先に「悪の枢軸」という烙印を押したイランやイラクにイライラしつつ、核大国の中国・ロシアまで攻撃の対象に入れているのが不気味だ。もっとも江戸時代の「試し切り大名」だけではなく、強力な新兵器を開発した科学者やそれを手にした独裁者たちの気持ちは、分からなくもない。少年時代の私だって、新品の「肥後守」を手にしたときは、やたらに草木を切りたがった。

 

第三次大戦ぼっ発寸前の「キューバ危機」を描いた小説や古いSF映画にも、ミサイルを発射したがる軍人が出てくる。そこへ、彼らと一線を画する「理知的で勇気ある大統領」としてケネディが登場するのだから、小泉首相などよりはるかにカッコいい。

 

無知な私も、暗殺されたときには同情からのファン心理に浸ったが、ベトナム戦争を始めたことやマリリン・モンローらとの醜聞を後に知ったころから嫌いになった。

 

ただ、歴史の「イフ」で、そのときがブッシュ大統領だったなら、米ソともに「ヒロシマ」の比にならない惨禍を招いていた気がしてならない。だから、ブッシュの「超タカ派」ぶりからは目が離せない。盟主アメリカに対して遠慮ぎみな忠告さえできない日本外交も情けない。

 

「ならず者国家への制裁」や「テロへの報復」という口実を退け、核ボタンに掛かった手を振り払うのは世界の理性的な世論しかない。凶器の核を使うのは狂気でしかない。核は決して「平気な兵器」ではないのだ。廃棄しかない。(修)

 

目次へ戻る   表紙へ戻る