命の重さ 2002・10・31 徳島新聞
「白髪三千丈」という表現は、いかにも大陸的で好きだ。「海より深い」のは母の愛だったか親の恩だったか忘れたが、これもオーバーぎみとはいえ昔から大好きな言葉だった。同様の言い回しで、人の命は地球より重い、というのもある。なのに、最近の風潮は「鴻毛より軽し」という感じで、腹立たしい。
「金をくれなかったから」と代議士を刺し殺した三流右翼にあきれ驚いたのもつかの間、ロシアの劇場で舞台上の悲劇でなく現実の惨劇が起きた。家族やカップルでミュージカルを楽しんでいたところへ、チェチェンの武装勢力が乱入。役者や観客数百人を人質にとり、チェチェン共和国の独立などを要求したものだ。私も数年前にロシアで斬新な現代劇や伝統的なバレエを楽しんだことがある。すぐ近くの劇場だ。ゾッとした。
十年ほど前にチェチェンは独立を宣言したのだが、ロシア系住民が反発、内乱が続いている。多宗教・他民族国家内での軋轢は日本人には理解しにくく、卓見も出にくい。ただ、いかなる理由であっても無差別テロは許されるものではない。彼らの先祖とコーカサス地方で戦ったことのあるトルストイもチェチェン人のことを「勇猛果敢」と賞賛さえしたそうだが、今回のように無辜の民の命をもてあそぶような「闘い」は、ロシア・プーチン政権の武力対決政策に批判的な人たちからも決して支持されないだろう。手負いの獅子たちの命を賭してのテロ行為は、皮肉にも彼らの悲願達成を遠ざけるだけなのだ。
人質解放にはかなりの時日を要し多くの犠牲者が出るのではと危惧していたら、ロシア特殊部隊が劇場に突入、一気に幕を下ろした。120名近くの人質が死亡したと聞き胸が締めつけられる思いだ。しかも、その殆どが鎮圧部隊が使った毒ガスによるものとわかった。致死量も不明なガスだけに、意図不明ながら軍部にとっては効果を試す絶好の機会になったのは確かだろう。
強行策に賛成はできないものの、劇場爆破の事態にでも至ればもっと酷い結果を招いたかもしれないと思い、絶対反対とも言い切れない自分がもどかしい。今後もこういった集団テロは確実に起こるだろうし、自分自身さえいつ巻き込まれるかもしれないのだから、複雑な思いでいっぱいだ。
「世界は一つの家族」とか「人類みな兄弟」という標語が、オーバーに聞こえない時代はいつか来るのだろうか。でないと、私も李白の詩に似て「白髪三十センチ」になりかねない。「憂いによりてかくのごとく長し」と…。