いかに死ぬか?1999.3.26徳島新聞 

 

 

何であれ、なかなか全国一になれるものではない。首長や議員のほとんどのみなさんは、徳島県が福祉や教育・文化面で全国でトップになるなんて、もうあきらめているように見える。

 

しかし、こともあろうに、糖尿病で亡くなる率は全国一だとか。栄養の偏り、運動不足、肥満が目立つそうだ。かくいう私も、まったくの運動不足で、歩くといえば勤務先のビル内か、時々ほろ酔いでネオン街をうろつく程度。まだ肥満とは縁がないものの、類まれな不規則生活なので、いつ病魔に魅入られるかもしれない。その節は病院や女房殿や友人のみなさん、お世話になります。というのは冗談のつもりだが、身近なところで(実父が脳梗塞で入院中、義父が胃がんの手術をしたばかりと)続けば、あながち冗談でもなくなる。

 

私の場合は、おそらく徳島で流行りの糖尿病にはならないだろうが、実母を胃がんで、義母を肺がんで亡くしたため、やはりその系統に目がいく。だからムダ死にしないために年に一度は、酒のかわりに胃カメラを飲み、カラオケのエコーのかわりに腹部エコーを受けている。

 

その折いつも考えるのが、もし自分や身内にガンなどが発見されたらどう対処するかということだ。「告知」の是非でいえば、私は、はっきりしている。まず、自分のことは絶対に知りたいと思う。それが初期ガンであれ末期であれ、だ。わりとあきらめや切り替えが早いほうなので、ショックに克つ自信はある。そして、粛々と身辺整理をしようと思う。

 

ただ、自分以外のケースでは、まだ迷いがある。というのは、先日の義父のケースでは、医者がいともあっさり「胃がんです。手術しましょう」と告知したのだ。幸い早期発見だったために、内視鏡を用いる短時間の手術ですんだが、告知直後のショックは当然ながらかなり大きかった。その時、当人は、冷静さを装っていたが、数時間後に声が出なくなったほど。

 

ずいぶん前だが、悟りを開いたような僧が、末期がんを告知されたとたん、その超然とした姿が一変し、飛び降り自殺をしたという話も聞いたことがある。人、千差万別。だから、余命いくばくとの告知は慎重でないといけないし、十分なケアが必要だろうけど、外国では告知が当たり前だと聞く。残された固有の時間を尊重すべきだから、だと思う。

 

人生の半分をちょっと?過ぎた今、死に様を考えるのは生き様を考えることでもある、と思い至った。どうせなら、家族や友人に「イガンで死んだがまっすぐ生きた」と言わせたい。でもその前に、徳島を全国一の長寿県にするのに貢献したい。それが本音。

 

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