不易流行 2003..1掲載 徳島新聞夕刊 

 

 

 あいつの台詞は、どうも「耳ざわり」だ。なのに、「役不足」だなどとのたまう。「気の置けない」仲間で劇団をつくり順調にきて、今回が「流れに掉さす」公演になるはずだったのに…。 以上が、カッコ内の言葉の正しい使い方だ。

 

 彼の台詞は「耳ざわりがいい」。僕の方が「役不足」と批判されて降ろされるかも。「気が置けない」奴らばかりで疲れるよ。腹立つのでわざと「流れに掉さして」やろうか。 といった言い方をするようでは、良い役者にはなれないだろう。

 

 先ほど文化庁によって「国語に関する世論調査」の結果が発表された。回答者はたった2300人らしいが、誤用の実態がかなり的確に把握されているのではないか。例題のいずれもが、正しく理解しているのは1割〜2割程度で、6割の人が間違って覚えているそうだ。

 

 「耳障り」を手触り・肌触りと同じように、「快い感触」として使うケースは多い。「役不足」は、役者不足・力不足と混同しやすいようだ。「流れに掉さす」は、夏目漱石『草枕』の一節が有名。しかし、舟が流されないように棹を川底に突き刺して抗う光景を思い浮かべるのだろうか。

 

 でも、こういう誤りは責められない。あまり日常生活で書いたり話したりしない言葉なのだから。文学青年ではまったくなかった私なので、偉そうなことは言えないが、加えて「読書量の低下」が根っこにある。そうそう、四国は全国で最も少ないという。でもこれだって、地方の本屋の少なさや都会の(読書タイム用)通勤時間の長さなどの環境差も確かにあると思う。

 

 日本語の乱れを八割が感じてはいても、それに近い人が「気にならない」と答えている。勘定の時の、一万円「から」お預かりします、というのがよく話題になるが、私は自分では使わないし、気にならない。自分の意思や感情を正しく伝える能力は絶えず磨かれるべきは当然。でもやはり、仮面をかぶった饒舌より真情を感じる訥弁が好きだ。

 

 もとより言葉も生き物。時代によって生き死にする。かつて平安人も、漢字の世に今の日本語の基礎である平仮名とカタカナが登場したときは「大きな乱れ」と感じたはず。それを「変化」とみるかどうかだ。自然も社会も人も言葉も万古不易ではありえない。ところで、「戦争」が死語になるのは人類すべての死後なのかなあ。

 

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