骨のあるのが好き 2003・8・13 徳島新聞
「骨太、骨太」と、小泉首相や飲料水のCMが叫ぶずっと以前から、私は「骨太の映画や芝居」が好きだった。骨休めになる娯楽性を備えつつ、根っ子にきちんとしたテーマ性のある作品が好みなのだ。改まった言い方をすれば、「平和や民主主義」の進歩のために汗や血を流した人物・歴史を描いたもの、となるだろう。ファシズムへの抵抗運動を描いたものや、ナチスや各国軍隊の非人道的行為を告発する作品には、よく骨の瑞まで感動した。しかし、現実社会の反映ではあろうが、そういう「骨のある」作品が減っているような気がしてならない。
骨がないというのは、そこらの「スペシャル」番組やクラゲやナマコの専売特許だと思っていたら、何と数年前から「スペシャル魚」ならぬ「骨なし魚」が登場している。タチウオやマアジなどがその代表だ。半解凍にしたものから、中骨はもちろん小骨もすべてピンセットで取り除く。その後、ご丁寧に結着剤を使って元の姿に戻すという。
プチ整形が流行とはいえ、成形魚とは…天皇家の食卓でもあるまいにと冗談を言ったら、直後に実際そうだと知った。宮中のベテラン料理人だったW氏の手記によると、「骨を完璧に外すのが天皇家の魚料理の常識です」って。焼きサンマも「腹を割り中骨・小骨をすべて外し元の形に整えてお出しする」って。私も御幼少のみぎり?には乳母でなく母親が身を取りほぐしてくれた記憶があるが、形は整えてくれなかったし、まれに小骨がノドにささり御飯を飲み込まされた…。同じサンマを食べてもそこが庶民との違いかなあ。
サンマには160本も小骨があるそう。だからかなりの手間だと思うが、そこはそれ。現代では、骨を外すのは「昭和天皇の料理人」でも「幼児の母親」でもなくて、やはり賃金の安い中国やベトナムの労働者だ。タイで骨を抜いたタイも大変重宝されていると聞く。
骨なし魚は、元々は、病院・老人ホームの給食から始まった。さもありなん。骨がノドに刺さらないための心づかいは、わからなくはない。また、手や口が不自由で箸や舌をうまく使えない人には、味や新鮮さに多少の物足りなさを伴っても歓迎されるだろう。それはそれでいい。ただ、多くが知ってるとおり、魚は骨の周りが特にうまい。鍋や煮魚では、骨から出るエキスがこくを出す。だからたぶん「骨なし魚」も、世界に冠たる日本の魚食文化の主流にはならないはずだ。
と期待して、結び。骨のある首相候補も見当たらない時代とはいえ、某国にこびる「骨なし政治家」がはびこる世とはいえ、憲法だけは骨抜きにさせないように、骨をおりますか。コツコツと。