畏敬の人宮本顕治 2007年8月19日掲載 徳島新報 

 

  

宮本顕治という人を知ったのは高校生くらいだった気がする。私は、子供の頃から歌手やスポーツ選手や俳優のファンになったことがないのだが、宮本さんには少なからぬ「ファン意識」を持ち、それがずっと続いてきたように思う。

 

だから、訃報を聞いた時には、頭のどこかに空洞ができたような不思議な感覚にとらわれた。10年ほど前に名誉議長を退いた頃から、いずれ「その時」が来るであろう覚悟みたいなものができていたからか、「歴史が巨大な頁を音もなく」閉じた「その時」を目撃しえたことに、悲しみを超える深い感慨を覚えたのだった。まさに「巨星堕つ」である。中曽根元首相だけでなく「敵ながらあっぱれ」と思う「敵」も数多かったことだろう。

 

直接お会いしたことは、残念ながら私にはない。ただ、数多い著作や「赤旗」新聞紙上での含蓄ある言葉に示唆を受け鼓舞されることが多かったので、いつも身近な指導者と感じてきた。かつての過酷な12年もの獄中生活や、党主流派から疎んじられ不遇をかこった時期にも決して節を曲げず、断じて党や大衆を裏切らず闘い続けてきたことなど、そのとてつもない凄さに畏敬の念を持つのだ。

 

その98年の生涯は、類い稀な光輝を放っている。それを可能にしたのは、頑健な肉体、強靭な意志・正義感、天賦の才を生かす並外れた努力だったろう。もし、宮本さんが生きたのが、戦国時代であれ幕末であれ外国であったとしても、必ずや未来を切り開くリーダーになっていたはずだ。

 

この大先輩の晩年を日本共産党が尊敬をこめた手厚いお世話をしてきたことに、この党ならではの口先だけでない人間的な温かみを感じて、嬉しい。そして、誰であれ神格化・偶像化しないところに、科学的社会主義の真髄をも見る思いがするのだ。宮本さんの遺志を継いで唱和しよう。「日本共産党万歳」と。

 

              目次へ戻る  表紙へ戻る