私の下町(ダウンタウン) 1998.10.28 徳島新聞 

 

 

誰にでも、心に焼き付いている写真の一つや二つあるんじゃないか…。これは、来月県内で上演される『私の下町』の第一声となる台詞だ。

 

そうだよね、あるよね、と誰もが思うはず。私も、母の娘時代や父の兵隊時代の写真、祖父母の晩年や私の赤ちゃん時代の写真を前に、当時の思い出話をよく聞かされた。それらはもちろんほとんどセピア色。当節のホームビデオもいいが、古い写真の味はまた格別だ。色あせたそれら一枚一枚に、写っている人だけでなく、少しでも関わりのあった人たちの人生や、今の自分自身につながる過去が凝縮されているのだから、見飽きない。母の優しさや父の奔放さがことさら蘇る。

 

「母の写真」と副題がつく福田善之・作『私の下町』は、それからも想像できるように、作者の母の半生を描いたものだ。関東大震災から東京大空襲までの時代、治安維持法下の戦争へと突き進むわい雑でキナ臭い時代を、楽天的にたくましく生きた「ニッポンの母」。そして、周囲の人々の生活を赤裸々に巧みな文体で綴る、ユーモアとバラエティに富む構成の優れた舞台になっている。

 

杉村春子の「女の一生」、滝沢修の「夜明け前」、山本安英の「夕鶴」…演劇史上に残る名作は数多いが、かつてのそれらはもう観られない。それに「名作」と呼びうるものは、新たにはなかなか生まれない。ところが私が数年前に、この『私の下町』(木山事務所)で受けた感銘は、劇評に思わず「これはもう名作の香りがする」と書いたほどだ。

 

暗い時代の一家族の有為転変を描いたものではあるが、力強い見事な庶民史になっていたこと、適度な「軽さ」と娯楽性に満ちていたことが、稀有な成功の要因だろう。とにかく、女性コーラスの軽快なテンポの流行歌がなんと40曲あまり登場する。それが時代の雰囲気とたまらない郷愁をかもし出す。

 

もちろん若い?私などは、戦後のリバイバル・ヒットやドラマの劇中歌で耳にした程度だが、人生の先輩諸氏にはもっとそれら流行歌にまつわるさまざまな思いが蘇るだろう。君恋し、私の青空、二人は若い、セントルイス・ブルース、上海帰りのリルなど続々と…。

 

一つの評価としての「芸術祭大賞」を受けたのもうなずける。私も、いわば「新劇エンターテイメント」の秀作として迷わず推薦できるのだ。

 

こう書いているうちに、また古い写真を見たくなった。秋の夜長、時にはテレビを消して、夫婦で親子で懐かしい写真を見ながら語り合い、自分しか知らないことを聞かせあうのもステキな幸せかと思う。あっ、そうだ、私はその前にここ三十年の写真を整理しなくっちゃ。

 

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