多喜二の母 2000.2.14徳島新聞
切手収集が趣味という子どもは、今でもいるのだろうか。
私の時代には、少ない小遣いから少年雑誌のカタログで購入したり、記念切手発売日に郵便局へ駆けつけたりしたものだ。
でも結局、何冊もの切手アルバムは、ビー玉やメンコ(愛媛ではパッチンと言ってた)などの「宝物」とともに、いつのまにか紛失してしまった。
たぶん草野球とか幾度かの初恋?など別の方向へ関心が移っていったのだろう。まさに、遠い日の花火のよう。
そんな私が、数十年ぶりに新しい切手の発売日に郵便局へ足を運んだ。
目当ては、小林多喜二の「蟹工船」切手。20世紀デザイン切手シリーズの一枚で、発売帰還は5月8日までときく。
多喜二は、戦前の著名なプロレタリア作家。文壇の寵児と目されていたのだが、その思想性ゆえに、特高警察の手で拷問虐殺された。
壷井栄や志賀直哉、ロマン・ロランや魯迅など実に多くの人々が慨嘆し、愛惜の意を表したそうだ。
しかし思うに、誰よりも悲しんだのは、母・セキであろう。
彼女は、息子の無残な遺体に頬をつけて、繰り返し声をかける。「ほれっ、多喜二、もう一度立って見せぬか…」。
母には、あの人一倍心優しく思いやりの深かった息子が、なぜこんなむごい殺され方をしたのか理解できなかった。
セキが幼い頃たいそう可愛がってくれた村の駐在さんと同じ警察がなぜ…。
そのセキの半生を描いた舞台『母』が、偶然にも多喜二切手発売と同時期、来月に郷土文化会館で上演される。
劇団前進座・いまむらいづみ出演。命をけずる思いで書き上げた三浦綾子さんの原作はベストセラーになった。
息子を思う母の深い愛、弟妹たちとの温かい家族愛にぐいぐい引き込まれ、感動の涙がほとばしる。たぐいまれな傑作だ。
切手もいいけど、その角川文庫と芝居の『母』にはぜひ接してほしい。
本も舞台も、貧しくても底抜けに明るい家庭の温かさと、それゆえによけい哀しい母心が充満して、胸を打つ。
無学文盲だった母が、獄中の息子に手紙を書きたい一心で覚えたつたない文字が残っている。
長い引用には抵抗があるのだが、この心情あふれる素朴な「詩」だけは、書き留めておきたい。
理不尽に息子を奪われた老母の嘆きが痛くしみる。
「あ〜またこの二月の月がきた ほんとにこの二月とゆ月か いやな月 こいをいパいに なきたい どこいいてもなかれない あ〜てもラチオて しこすたしかる あ〜なみたかてる めかねかくもる」…。
二月は多喜二が殺された月だ。
この詩を読んだ牧師さんは、共産党員とキリスト教信者になっていたセキに聖書の一節「イエス涙を流し給う」を示して、「声ば殺して泣いた」という。