リア王  2002..8   

 

 

少子化が言われて久しい。「出生率」が日本では1.3まで下がっているとか。2.1は無ければ人口維持ができないそうなので憂うべきことだ。しかしフランスでは、数年来の景気回復と若年層の失業減少でベビーブームが復活している。やはり生活苦や将来不安をなくすことが特効薬なのだ。

 

経済的、精神的ゆとりさえあれば、大抵の人が多くの子供を望むのではないか。子育ては確かに大きな労力と時間を要する。しかし、その笑顔や寝顔から楽しさや元気がもらえるし、夫婦のかすがいにもなる。カスがいいわけではないが、子供は多い方がいいと私は思う。そして、その子供たちがみんなそろって心優しければ言うことなし。幸せ気分で「銀も金も玉も何せむに…」と歌いたくなるのも納得できる。

 

だが残念なことに、世間一般ではそうでないケースが多い。私などには縁が無いが、財産をめぐる骨肉の争いをよく見聞きする。「親の心子知らず」や、その逆もある。かの有名なシェイクスピア悲劇『リア王』の場合は後者だ。

 

権勢をほしいままにしてきたリア王は、年老いた今、引退を決意して愛する三人の娘に領土を分け与えようとする。今後は三人の娘夫婦の国を行き来し、気ままで安らかな余生を送る腹づもりだ。ある日、彼は娘たちに言う。お前たちがどれほど私を愛しているか聞かせてくれ、と。

 

父を思う度合いに応じて財産分与をするというわけだ。二人の姉娘は、言葉巧みに父への愛を語り誉めそやす。しかし、最も親思いの末娘だけは、どうしても歯の浮くような美辞麗句を口にできない。似通っているからか、私にはこの末娘の気持ちはよくわかる。

 

その真情が分からなかったリア王は激怒し彼女を絶縁する。そこから大悲劇が始まるのだ。姉娘たちから疎んじられ追放される老王。彼を待ち受ける悲惨な運命とは…という物語は、時代を超えて現代の観客の胸を打つ。

 

来月「市民劇場」で上演される『リア王』では、シェイクスピア連続上演に役者人生をかける平幹二朗さんが、大向こうを唸らせる名演技を見せてくれるはずだ。平岳大さんとの親子共演も話題になっている。

 

「少子化」問題からかなりそれたが、出生率がどうあれ、すべての子供たちに教え伝えたいのは『リア王』の人生訓。「君に忠」は消えたが「親に孝」はやはり美徳だ。ただ親も子も「巧言令色、すくなし仁」を見抜ける人でありたい。情のない口先人間は誰の傍らにもいるのだから。

 

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