パパのデモクラシー 200063 徳島新聞 

 

  

ミンシュシュギというものは、五十五年前までは公然とは語れない言葉だった。ごく限られた人々の、命をかけての主義主張だっただけに、ことさらに「物騒な」印象がついてまわった。

 

戦前の日本は、森首相いうところの「天皇を中心とする神の国」だったので、民主主義なんて口にしようものなら、「アカ」だの「非国民」だのと呼ばれ、ひどい迫害や弾圧を受けたのだ。それが大日本帝国の敗戦を境に、天皇も人間だという宣言がなされ、今の憲法が生まれたことで、ミンシュシュギの大合唱が急速に広がった。

 

一夜にして、というくらいの世相激変ぶりだったそうだ。文部省が「あたらしい憲法のはなし」を学校に配布し、「民主主義」を普及する先頭に立ったのもこのころ。後世に森さんが文部大臣になるほどの同省が新時代の旗振り役をしたなんて、信じられないような、でも本当の話だ。

 

「臣民」から「国民」に変わったばかりの一般庶民にとって、降ってわいたような「民主主義」は漠然とした期待とともに、大きな混乱をもたらしたことだろう。その右往左往ぶりを描いた活気あふれる喜劇が、来月県内で上演される。徳島初の二兎社公演『パパのデモクラシー』だ。

 

敗戦の翌年、住宅難と食糧難の時代。ある神社にさまざまな人々が強引に住み着いた。東宝争議中の助監督、元特高の中年、元特攻の若者、元陸軍大佐の奥様や氏子総代などが入り乱れ、「デモクラシー」をめぐってのテンヤワンヤ。迷惑な間借り人たちを追い出そうと画策していた神主までもが、生活難が極まってサンドイッチマンになったり、デモに参加したり、息子にパパと呼ばせたり…。

 

買出し、隣組、国防婦人会、国家神道、アメちゃん、カストリ焼酎、闇市、隠匿物資などの「懐かしい」用語がいっぱいの見事な風俗劇でもある。作・演出の永井愛さんは、私同様、戦後生まれなのによくぞここまで書けたもの。彼女の才能に脱帽だ。文部省も同感なのか、芸術祭大賞に選定した。

 

喜劇のスタイルながら、かなりテーマは辛口で、切り口は鮮やか。戦後の国を挙げての方向転換を日本人はどう受け入れたのか、と観客に問いかける。よく言われる日本人の大勢順応、付和雷同、変わり身の早さ、忘れっぽさを、笑いで包んで鋭く諷刺するのだ。

 

一夜の芝居に大笑いした後、過ぎし戦後五十年に思いをはせ、今を見つめたいと思う。「神の国」選挙も近いことだし、観劇仲間と「民主主義に乾杯!」と盛り上がるのも一興か。どうやら今度の選挙と芝居には、これまで腰の重かった隣の「パパも出向くらしい」。


 2003年1月には、ようやく『見よ飛行機の高く飛べるを』〔青年座公演〕が徳島市民劇場で鑑賞できます。    
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