村岡伊平治伝1997.9.5 徳島新聞夕刊

 

 

 体は売っても心は売るな、わしがお前たちの心の夫じゃ〜。身売りを嫌がる女たちを、彼はそんな大仰な台詞で説得する。「常盤御前かて、わが子の命乞いをするために平清盛の妾になったが、心のだんなは別の相手だったんやで」「だからお前たちもワシのため、お国のためにがまんするのだよ」と、大時代的でムチャクチャな論理を展開する。

 

 彼、村岡伊平治は、明治・大正をガムシャラに生き、昭和の敗戦直後に死んだ女衒(ぜげん)の親分。確かにおとこ気のある男前として独特の魅力を持っていたようで、彼を「心の夫」と思う女が四百人もいたそうな。

 

 女たちへの説得と同じ伝で、食い詰めて彼のもとに集まった前科者やゴロツキの男たちを言いくるめる言葉も爆笑ものだ。「諸君らは、まっとうなことをしていたら真人間にはなれない。もう一度悪事を働き、警察のウラをかくことで、真人間になれるのだ」。

 

 非論理の極みなのだが、ここではなぜか妙な説得力を発揮する。「その人を救うためにポアしよう」と言った例の教祖や、他国侵略を「植民地からの解放」と強弁する人たちがダブるのもおかしい。

 

 村岡伊平治が臆面もなく大演説をぶつのは、彼がすでに軍国ニッポンの申し子に変質したからだ。当時でももちろん、誘拐罪や人身売買罪があり、「からゆきさん」を大量に売り飛ばしたのは許されない行為なのだ。なのに、彼に罪の意識やためらいが全く無いのは、国父たる天皇の赤子・臣民として当然の仕事をしている、という強烈な自負があったからなのだ。

 

列強諸国に遅れて資本主義の仲間入りをした「大日本帝国」は、資源と市場を求めて海外進出に躍起となっていた。だから、国策にそって外貨獲得の先兵、国家発展のための露払い、南洋開発の礎たらんとし、売春宿を「お国のため」と正当化する伊平治だが、彼の生涯は、今の私たちから見ると、不可思議で不気味で、こっけいで哀れにも思えるのだ。

 

 純朴で正直で正義感の強かった青年が、一家八人を養うために一旗あげようと婚約者とも別れて長崎から大陸に渡る。よくあった話だろう。夢にまで見た新天地での飛翔が幻に終わった後、忠君愛国の士へと急激な変貌をとげる伊平治。その姿に、私は、時代を越えた鋭い諷刺と教訓を見る。

 

80歳を越えた秋元松代さんの作品『村岡伊平治伝』は、怖い喜劇だ。

 

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