見よ、飛行機の高く飛べるを2002.12.14徳島新聞夕刊
空を飛ぶ夢を見なくなったら大人になった証拠だと聞いたことがある。それは必ずしも喜ぶべきことではないかもしれないが…。
私もよく子供の頃は夢の中で空を飛んだものだ。でもそれは「スーパーマン」のように颯爽としたものではなく、地面を蹴った後しばらくは手が届く高さでフラフラ飛ぶのだ。でも、小高い丘や山頂からだと上手に飛べた。だから中学校の二階の窓からもよく飛んだ。見慣れた噴水のある校庭や大きな体育館の屋根の上を、先生や級友たちの大騒ぎを眼下に何度も旋回した。学校へ行くのが好きで、非行少年にならなかったのは、快適な「飛行の夢」のおかげが多少あったかも…。
ちょっとかじったことのある「夢判断」では、空を飛ぶ夢を見るのは「自由への希求」が潜在意識にあるからだそう。さまざまな桎梏(と感じていたもの)を断ち切っての飛翔を夢見るのは、成長過程での自然な若さの発露に違いない。
話し変わって、頃は明治末期、所は愛知の女子師範学校。ここにも女性の自立と自由を夢見ながら、社会という大空へ飛び立とうとする乙女たちがいた。平塚らいてう達によって『青鞜』が発刊され、そんな世の胎動に刺激を受けた女性教師の卵たちは「新しい時代は私たちが創る」と夢と希望と好奇心に胸膨らませていた。そういう「青春グラフィティー」といえる群像劇が、県内三箇所で上演される青年座の『見よ、飛行機の高く飛べるを』。
この作品は、演劇賞総なめの感がある永井愛さんの出世作でもある。徳島でも彼女の作品は、これまでに『ら抜きの殺意』など三本が上演され、それぞれに違った感銘を与えた。今回の『見よ…』は百五歳で天寿を全うした作者の祖母と、親友・市川房枝さんがモデル。お嬢様育ちで女性解放運動などにまったく無知だった「祖母」は、一級下の「市川さん」と出会い触発される。同級生の理不尽な退学処分をきっかけに、二人は生徒たちのストライキを指導するようになるが、味方だったはずの女性教師の裏切りで挫折、仲間からも徐々に孤立しながらも固い友情に結ばれ…。
と書くと固い印象だが、永井愛の作風は全く違う。どの作品にも喜劇性と活気が横溢しているのだ。生徒たちの名古屋弁が大いに笑いを生み出す。学校の理念が「質実剛健」からいつか「温順貞淑」に変わるのも、時代の変化を映して興味深い。現代の「料裁健母」や「飛んでる女性」「飛び立てない男性」にもぜひ観てほしい。いい意味での「とんでもない」傑作と思う。
徳島市民劇場機関紙 03.1
ものの見方・考え方のことを「哲学」という…ということを、私は勤務先の独身寮で教わった。酒コップ片手に口角泡を飛ばしながら思想を語るその先輩に、私は多大な影響を受けた。箱入り息子?だった私にとって、彼はとても新鮮な存在だった。懐かしい一幕だ。
92年前の女子師範学校の寄宿舎で、『見よ…』の作者・永井愛さんの祖母もまたそんな体験をした。後世に女性解放運動の指導者として勇名をはせる市川房枝さんと親友になり感化しあうのだ。
この二人がモデルの舞台には、良妻賢母教育に飽きたらず「新しい時代は私たちがつくる」と青春の炎を燃やした教師の卵たちが登場する。軍国主義まっさかりの時代に大空高く飛び立とうとする少女たちの熱気と涙は、現代を生きる私たちを鼓舞するにちがいない。今年もまた傑作で開幕!