巨 匠  2004..26 徳島新聞夕刊

 

 

細めで長めの指をしてるのでピアノかギターでも弾けそうに見える(と思う)のに、今までにマスターした楽器は一つもない。

小学校の写生大会で表彰されたことは幾度かあるが、それどまり。

吉本新喜劇ばりの「寸劇」台本やこのような小文、独りよがりの詩歌などはよく書いたが、

長編小説の類をものする根気も意欲もない。私はまさしく鯛でなく怠惰。

 

芸術文化関係の大家を「巨匠」と呼ぶなら、

何度生まれ変わっても私なんかは、そんなニックネームさえにも極めて縁遠い存在だろう。

だからやっぱり「名も無く貧しく美しく」生きていくのが似つかわしいし、性に合っている。

 

そんな私が、数人の「巨匠」と出会うことができたのは幸せなことだ。

宇野重吉さんや杉村春子さんはじめ、ほとんどが演劇界の方々。

洒脱な人柄と凛とした生き様に魅かれ、お会いするたびに様々な感銘を受けたものだ。

そして先月、東京で新たな「巨匠」を知った。もっとも今度は劇中の人物だが…。

 

今から60年前、第二次大戦中のポーランド。ナチスの暴虐から逃れて、ある田舎の小学校に彼らは暮らしていた。

そこへ突然、ゲシュタポ(秘密国家警察)が乗り込んでくる。

レジスタンスへの報復に四人の「知識人」を処刑するというのだ。

提示させた身分証明書から「医師・ピアニスト・女教師・前町長」を選び連行しようとしたその時、

周囲からヤユ的に「巨匠」と呼ばれていた、風采の上がらない老人がおずおずと申し出る。

 

私は実は俳優なんです。

簿記係というのは仮の仕事で戦争が終わったら大劇場で「マクベス」を演じるつもりです、と主張するのだ。

彼は実は、何十年もドサまわりを続けてきた凡庸な役者だった。

将校はうんざりしつつも、俳優「テスト」をする。

そして『マクベス』を演じ終えた時、老人は「知識人」と認定され「銃殺組」に入れられるのだ。

懸命の演技は、文字どおり命がけの自己証明であった。

 

この衝撃的な作品は、『夕鶴』や『子午線の祀り』で知られる文壇の巨匠・木下順二さんが、

ヨーロッパ滞在中に偶然見たテレビドラマに触発されて一気に書き上げたという。

老優の演劇に対する純粋で一徹な思い、誇りを守るための究極の選択と決断に、観客は息をのみ複雑な感慨に包まれるだろう。

彼は死して真の「巨匠」となった…。

大滝秀治さんの入魂の演技は、けだし必見。

わずか1時間20分の舞台が、私たちの怠惰な生き方をこれからも鋭く問い続けるに違いない。

 

早耳情報@劇団民藝公演『巨匠』の徳島登場は7月中旬 Aこのコラムへの(修)の登場はこれで(終)

 

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