国語元年2002.4.9 徳島新聞夕刊
ほぼ全都道府県に友人がいるのに、その地で古老の話を伺う機会が少ないのは物足りない。全国各地の先達から、リアルな歴史や風俗をもっと聞きたいと思う。その場に地元言葉と地酒があればなおさらいい。
もっとも「生粋」の方言だと、英語よりも聞き取り困難かもしれないが、それが余計に場をなごませるはずだ。
私は東予生まれで、東讃へ転校したとき方言に戸惑った経験がある。下校する際「帰らんかホイ」と言って笑われた。愛媛のどの辺だけの方言かは知らないが、私も語尾によく「ホイ」を付けていたのだ。
物をあげるのに「やろホイ」という具合。でも香川の新しい級友が「ください」というのを「イター」と言うのは逆におかしかった。隣県の間でさえこうだから、お国なまりが花盛りでマスコミが発達してなかった昔は、誤解や曲解による悲喜劇が多かっただろう。
五月に県内で上演される『国語元年』(こまつ座)は、まだ共通語のなかった時代の大騒動を描く傑作喜劇。あまたの方言が飛び交う抱腹絶倒の舞台だ。明治七年のある日、文部官吏南郷清之輔に「全国統一話言葉」を制定せよとの大号令が下された。東西の話し言葉がテンデバラバラでは「統一された国家づくり=思想統制」もままならぬというわけだ。命令が誰にもすぐ伝わる強固な軍隊をつくるためにも「共通語」が必要不可欠、と新政府は考えたのだろう。
ところが当の南郷家こそ方言の見本市。当主が使う長州弁、妻の薩摩弁。三人の女中たちは江戸の山手言葉、下町のべらんめえ調、米沢のズーズー弁。書生は名古屋弁だし居候のお公家さんは京言葉。河内弁のお女郎さんや会津弁の強盗までが入り交じる。「言葉の天才・現代のシェイクスピア」と、脱帽する井上ひさしの独壇場だ。
話し言葉の全国統一を成功させる前に清之輔はます邸内の大混乱を解決しなければならない。事はもつれにもつれるが…孤軍奮闘のかいあって、彼はついに「文明開化語」なるものにたどり着く。果たして文部省はこれを良しとするのか?
腹の皮がよじれアゴが外れそうなこの喜劇には、しかし、歴史文化としての方言を愛する作者の優しいまなざしがあり、共感できる。郷に入っては郷に従ってもいいし、また語尾にホイでもジョでもノーでもケーでも臆せずに付けていい。場にそぐわない、妙に上品ぶった東京弁?を使うよりよほどいい。