黄金色の夕暮 2002.2.5 徳島新聞夕刊

 

 

「更迭」という活字を初めて見たのは中学1年。新聞を読む、という授業だった。

「送」とそっくりの字を「てつ」と読むのに新鮮な驚きがあった。

その後、「トカゲのシッポ切り」的な「更迭」劇を見たのは数百回。最新版は、田中真紀子前外相のケースだ。

 

アフガン復興支援会議からのNGO排除に、鈴木宗男代議士が動いた、動いてないで大もめ。

前外相の「ウソではない」という涙の会見まであった。

 

「伏魔殿」外務省と彼女との闘いは、人気テレビ番組・どっちの料理ショーより面白く、

「どっちもどっちでショー」という感があったが、今回ばかりは真紀子さんに利も分もある。

だから批判が噴出し、支持率が急降下したのも当然だ。

 

小泉内閣の支持率の高さは理想的な擬似家族の雰囲気にもよる、と私は以前から思っていた。

かっこいいパパとしっかり者のママ、できのいいボン、楽しいジジがそろった小泉一家。

だから今回の不協和音・亀裂を見て、テレビや舞台の山田太一作品をとっさに思い浮かべた。

 

近いところでは、来月県内で上演される俳優座の『黄金色の夕暮』。

登場するのは、二つの家族。総会屋への不正融資疑惑に巻き込まれた銀行支店長と、それを捜査する検事の一家だ。

 

銀行員の方は、カルチャーに明け暮れる妻、親に心を開かない娘と息子、わずらわしさが嫌でボケたふり?の老母。

互いの接触もない白けた「現代風」家族である。

片や検事の家庭も、離婚した父と不満を抱え続ける娘との二人暮し。

仮面をかぶったような彼らの、ありきたりで差しさわりのない会話から、普遍的な病理が浮きあがる。

 

舞台の意外な展開に引き込まれながら、わが家は「どっちの家庭でショー?」と省みたり身につまされたり、

今のところは安泰だと安堵したり、そんな観客がほとんどだろう。 

自身の家族と家庭を見つめ直させる優れた現代劇だ。

いつも山田太一作品は、深刻で身近な問題を扱いながらも、独特のユーモア味があってファンが多い。

 

舞台『黄金色の夕暮』は、作者述べるところの「感傷や偽善や打算やあいまいを維持したままの夕景」で幕をおろす。

崩壊寸前の家庭が立ちな直っていく姿を見るのは心地よいもの。

息子が歌う尾崎豊の「I LOVE YOU」と共に、強く胸に響き残ることだろう。

 

タイトルの「夕暮」は一件落着を意味し、「黄金色」は少しマシな明日を予感させるのだが、

小泉内閣と日本経済は「日暮れて道遠し」状態…。 節分に拙文を書きながら「鬼は〜外」と小さくつぶやいた。

 

 

 

 

まくあい徳島市民劇場機関紙)

 

火曜日が「シチュー」ズデーなら、金曜は天ぷらの「フライ」デーか。

メニュは何であれ、家族そろっての夕食は最も平和な光景だ。

 

しかし最近は、出来合いの「お袋の味」を「孤食」して部屋にこもりインターネットに浸る息子や娘が多いのではないか。

子供が56人もいた家斎将軍一家などはさておき、現代の少人数家族からも団欒が消滅しつつある。

 

それは、夫婦・親子の絆を確実に弱めるのではないか。

『黄金色の夕暮』は、どこにもあるそういった家族の陥穽を描いている。

『日本の面影』が好評だった山田太一と、実力ある俳優座の初顔合わせだ。

 

果たして彼ら二つの家庭は、崩壊の危機を乗り越えてその絆を再生できるのだろうか。

自分の家庭を省みながら、この作者一流の「仮定」の話を楽しもう。

 

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