母がいっぱい 1998.5.8徳島新聞 

 

 

 母の日がやってくる。そのたびに思い出すことがある。もう四十年も前の話だ。小学2年生のころ、母のことを作文に書いた。「今年もまたカーネーションをおくろうと思う」なんて…。それが何かのコンクールで入賞し、全校生徒が見る大きな黒板に先生が書き写してくれた。それは数ヶ月もの間、消されなかった。うれしいやら、後ろめたいやらという複雑な気分を味わった。

 

 うれしいのはともかく、後ろめたいというのは、その作文がフィクションだったからだ。私の育った愛媛の片田舎では、カーネーションを贈るなんてシャレた慣わしはなかったのに、どこでどう誤解したのか、作文というのは文字通り「作る文」と思い込んでいたのだ。事実をありのままに、と教えられたのはその作文のしばらく後だった。友だちや家族の間で、繰り返し笑い話になったものだ。

 

 十四年前に60歳で生涯を終えた母の思い出は数限りない。どこの子供にもとにかく優しかった。とりわけ私たち兄妹を深く愛し慈しんでくれた。でき愛に近かったといえる。母親の一つのあり方を身をもって示してくれたと思う。

 

 命を産み育てる母性の素晴らしさは、古今東西いつも懐かしさや畏敬の念をもって語り継がれてきた。映画演劇でも数多く描かれている。「母」がタイトルについている作品は、私が観た舞台だけでも十指に余るだろう。山本周五郎の「かあちゃん」は、強盗までも包み込む無償の愛を教えるものだった。同じ前進座では、サンダース・ホームの沢田美喜さんがモデルの「ママちゃま」や、小林多喜二の家族の温かさとラストの悲しさが胸にしみる「母」も忘れられない舞台だ。

 

 近いところでは、八日鳴門で、来月には阿南と徳島で上演される青年座の「MOTHER」がある。十一人の子供を育て、夫・鉄幹を支え、家に出入りする若き啄木や白秋の面倒をみながら、何万首もの短歌や詩を作り続けたたくましい与謝野晶子を描いたものだ。彼女のたぐいまれな肝っ玉母さんぶりが喜劇タッチで展開される。「君笑ひたまふことなかれ」と副題がつく。いま引っ張りだこの若手作家・マキノノゾミの出世作。徳島初登場だ。

 

 七月には山川町で「肝っ玉おっ母とその子供たち」も上演されるそうだ。母、かあちゃん、マザーと呼び方がどうあれ、誰もが身近に感じて笑い涙するのは、やはりテーマが「母」なればこそ。こう並ぶとさすがに、郷ひろみならずとも「ダディ」=おとうちゃん=の影は薄い。

 

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