はだしのゲン 2003.6.17 掲載 徳島新聞夕刊「視点」

 

 

 麦をつくる農家が激減したため、もうほとんど目にしないのだが、今もやはり「麦踏み」ってあるのだろうか。と、ふと思ってインターネット検索をしてみたら、あるわあるわ。子どもたち対象の「麦踏み体験」イベントから、トラクターにつけたローラーを転がせるものまでいろいろ。

 

麦の根を強く張らせるために、霜柱で盛り上がった土と麦の芽を踏みつける。今もやはり必要な農作業で、踏まれることによって麦はたくましく育つのだそう。これは、「人間」の成長を語る時にもよく使われる比ゆでもある。

 

季節はずれに唐突に「麦踏み」を思い浮かべたのは、来月県下で公演される『はだしのゲン』がきっと強く頭にあったからだろう。原爆で倒壊した家の下敷きになり焼死する父親が、幼いゲン兄弟に「青麦のように強くたくましく育て」と繰り返していた言葉が印象的で、そしてゲンは一粒の麦そのものなのだ。

 

原作はもちろん、誰もが知っている漫画。これまでに世界中で翻訳出版され、映画にもオペラにもなっている。私は廃刊になった「文化評論」での戦後編まですべて読んではいるものの、かつて「少年ジャンプ」で連載が始まったころは、好きな漫画ではなかった。原爆投下直後の情景がリアルすぎて気持ち悪くさえ思えたからだ。

 

しかし今回の『ゲン』は、大人の演劇として練り上げられたもので、その悲惨さよりも少年の明るさとたくましさを前面に出して、現代を生きる観客を励ます上質のミュージカルになっていると聞く。全国の鑑賞会や米国や韓国公演でも高い評価を受けており、期待感がいや増す。ニューヨーク・タイムズは、辛口の演劇評を掲載することで知られるが、この舞台は珍しく「掛け値なし」の絶賛だったとか。

 

原作者の中沢啓治さんがテレビ「徹子の部屋」に出演したことがある。後遺症でかなり不自由になった目を悔やみながらも、自伝的漫画に込めた反核・平和への思いを熱く語る姿は胸を打った。

 

悪夢のような194586日午前815分、啓治少年が登校途中、巨大な光を目にした。瞬間、記憶が途絶えたそうだ。彼は、校門の塀の陰になり九死に一生を得て必死で帰宅し、肉親三人の焼死を目の当たりにする。しかしその悲劇にふみつぶされず少年は、「この戦争は間違っている」と言い続けて死んだ父親の気性を受け継ぎ、青麦のようにまっすぐにたくましく育っていくのだ。「ゲン」は元気のゲン、人間の元素のゲンだと作者は語っている。

 

『はだしのゲン』は、けだし必見。ここで朗報。この名舞台は県西部・山川町でも719日に公演される。まれな好機なので、ぜひ親子・友人同士で観賞したらいい。ゲンの気をもらえるはずだ。

 

目次へ戻る   表紙へ戻る