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夢見るリヴァイアサン
ここは、ずっと北の果て。海に囲まれた孤島のお話。 人々は小さな島に集まって、集落を作って暮していた。 狩りをして農作物を作り、神々に供物を供えて豊作を祝っていた そんな素朴な自然に囲まれていた頃のお話。
少女は一人、集落を離れていつもは近寄らない北側の海岸に歩いて行った。 病気のお母さんのために、薬草を取りに高い崖を下から見上げていた。 「長が言っていたのは、きっとこの崖の上にある薬草の事、でもここは…」 切りつめた険しい崖、時折カラカラと岩が転がり落ちてくる。 崖の上では、鴉が喧しく騒ぎ立てている。 足が震えて竦んでいるのを奮いたたせるようにつぶやく。 「怖くなんかない。この上には大切な薬草が、あれさえあれば」 もう一つ怖れている理由があった。それは、ここにはこの島を守っていると 伝えられている龍が暮していると云う噂。 夜中にしか、目を覚まさず普段は眠ってばかりいると云う伝説の龍の話。 だから、ここに近寄る人は誰もいなかった。 「大丈夫よ。今ならきっと龍だって眠っている時間」 そっと目の高さの岩に指をかける。思ったよりしっかりとした崖のようだった。 「これなら上れるはず」 この日のために、高い木に登ったり、小さな岩場で練習してきたのだった。 身体中をボロボロにしながら、隠れて練習してきた。 毎日、少しずつ弱っていく母親を目にしながら、ついに今日決行すると決めたのだった。 「あとは、タイミングよ。勢いさえあればこんな崖くらい」 息切れしながら、自分に言い聞かす。 「あと少し、頑張らなきゃ、クッ…」 汗が額をこぼれ落ちる。拭う余裕さえなくひたすら上り続けた。 気をぬけば、真っ逆さまに地面に叩きつけられるのは解っていた。 「カラン…」 さっきまで、足を支えていてくれた石が崩れ転がり落ちるのを背後に感じた。 まだまだ先は長かった。段々手が痺れてきて感覚がなくなってきた。 次の瞬間、目の前を鴉が横切ったと感じた時には、手が岩を離してしまった。 「しまった!?」 急降下していく自分の身体、きっと次の瞬間には叩きつけられるんだ。 ギュッと目をつぶって心の中で叫んだ。 「神様、どうかお母さんを…」 何か暖かい物が、ドシンと身体の下に響いた。 「えっ?」 そっと目を開けると、すぐ下に島が見えた。 「宙に浮いてるの?」「私の背中の上だ。娘よ」 金色の鬣を生やした、銀色の龍の顔が振り向いた。 「まさか。そんな伝説の龍が…」 「私を呼んだのはお前の声だった」 優しく歌うように声が、風に乗っていく。 「この歌、時々聞いた事があったわ。風の音だと思ってた」 「私の溜息だよ。娘よ、長い年月が過ぎていったからね」 「不思議だけど。私ちっともあなたが怖くなんかない。う〜ん、 こんなに優しい目をしている人、違った龍にあったのは初めて」 「お前は優しい子だから、私を呼ぶ声が眠っていた私の夢に届いたのだ」 ゆっくりと島の周りを一周しながら、 「これがお前の住んでいる島だよ。そして私の住む所でもある」 エメラルド・グリーンの海が太陽の下きらめいて見える。 「私、絶対忘れないわ。この風景を」 優しい歌がまた聞こえた。嬉しそうに頷く竜が歌ったようだった。 「さあ、お前のお母さんの薬草を持ってお帰り」 少女は、崖に生えている薬草を手で集めた。 「ありがとう。これでお母さんが…でも…」 「娘よ?」 「病気なのは私の家だけではないの。他にも…」 龍は、そっと髭の中から何かを取り出した。 「これは種だ。絶やさぬように育てていくのだ。だが、薬で治せぬ 病いもある事を忘れてはいけない。人は弱い者、その者の運命は 例え神でも変えてはいけない」 大事そうに種と薬草を胸に抱えてコクンと少女はうなずいた。 「大丈夫よ。神様、私ずっと大切に育てていくから。約束します」 「良い子だ。さぁ、崖の下まで送ろう。背中にお乗り」 その鬣に捕まりながら、気付かれぬように少女はそっとキスをした。 こんなに優しい気持ちにさせてくれた世界で唯一の存在。 「絶対、私もあなたの事を忘れたりしないから」 龍の目にキラリと何か光って見えた。 「私はいつも、お前達のそばにいると伝えておくれ」
集落に帰った娘は、長に種を渡して龍の話を伝えた。 人々は驚き、伝説の龍の話で湧きかえっていた。 人々の信仰心もより深くなり、集落は幸せに栄えはじめた。 娘は、時折きこえる龍の歌を耳にするたびに、孤島の神の孤独に涙する。 あの龍をなぐさめる者は誰もいないのだと。 今はもう遠い物語。誰もが幸せだった頃の夢物語。
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