天の雨

 

 別に宛てなんてなかったけど、思いつくままに駅に向かった午前10時。

とりあえず、財布の中のお金で行ける距離までの切符を買った。

行き先なんて何処でも良かったから、そこがどんな街なのかなんてどうでもいい事。

幾日かは生きていけるくらいの残高の通帳を昨日、銀行でチェックはしておいたから

気分的には楽なきままな一人旅になる予定。 

流れていく景色は、住んでた街とは幾分変わった所を見せずに視界の片隅に消えていく。

記憶にも残らずに、まるで私に似てるなっとぼんやりと心に思った。

 遠くで響くような駅員のアナウンス。耳障りなのに少し心地よく感じられ、誰に

宛ててもいない呼びかけにいつもの私の生活が浮かんだ。

誰にも気にかけてもらえなかった冴えない生活。起きて寝て御飯を食べて、仕事に行って

の繰り返し、それが日常ってもの、それが生きるって言う事。

 ふっと逃げ出したくなったからって、誰も責める人がいないのがせめてもの救い?

救い? 私は誰かに救って欲しいの?  何となく自問自答を頭の中で繰り返す。

通り過ぎる景色があまりに単調すぎるから、ちょっと眠気が襲ってくる昼下がり。

現実と夢の廻間を、電車の揺れが心地良く運んでくれる。

 終点より一駅手前で、プラットに降りる。そこは、海が近いのか、風に潮の香りが

含まれているらしく少し肌にべたっとまとわりついてくる。

なんとなく歩いていくと、遠くに公園らしき木陰が見えてきた。

海へと続く遊歩道が設置されてるらしく看板が立ってある。

 

 風が少し変わったのが肌に感じられた。 雨になるんだ。

湿気をふくんだ風が余計に重く感じられる。

雨に濡れたい気分だったけど、わずかな着替えしか持ってないのに気付き、

とりあえず近くの商店に入って、小さな折り畳み兼用傘を買った。

雨からも太陽からでも私を守ってくれる小さな傘。

私が捜してるのは、こんな傘みたいな存在なのかもしれないな。レジでお金を払いながらそう思った。

 「今は、この傘の伝承者が減ってしまって」

人の良さそうな店員が傘を選んでいた私に説明してくれた。

傘の生地の梳き手が減ってしまっているらしかった。

その傘にほどこされた見事な染めに、人の手の暖かさを感じ取られた。

 

 薄ぼんやりとした空がポツンポツンと、地上に向けて水滴を産み落とす。

それは、誰の上にでも平等で薄汚れてきた埃を洗い落とす天の雨。

海岸までの砂浜を歩く。

緑色の海が少しずつ暗さを帯びて波が高くなっていく。

 「昔は、この砂も五色の石ばっかりじゃった」

淋しそうな声が不意に背後で聞こえた。

誰に話かけた訳でもなさそうに、背中が少し丸くなりかけたお祖父さんが立っていた。

 「遊歩道かなんか知らんが、もうあの砂は帰ってこん、何もかも変わってく」

ふと足元を見て、ずっと続いてる遊歩道を見返した。ここまで歩いてくるのには便利

だとは思った。でも、このコンクリートの下に埋められた五色の浜を見たいと思った。

 そう言えば、遠い街の海にある泣き砂も減ったと聞く。

遠い海の島に眠る星の砂さえも。人はどんどん何かを失っていく。

 

波音が、どんどん高くなってく。いつまでもここにしゃがんで見ていたいと思った。

濡れた砂を手でかき寄せる。日本の砂では、外国の砂のような砂の城は造れない。

あの砂は特別な物。それでも、砂をかき集めて何かを形にしたかった。

打ち寄せる波にさらわれても、幾度も幾度も砂をかき集め、雨脚が強くなっても、

飽きることなく砂浜に立ち尽くす。その手を止めずに。

遊び疲れた子供は、迎えに来てくれる誰かを待っているからいつまでも遊び続けてる。

 ここには誰も居ないから、ここに居る事を誰も知らないから。

砂を濡らしてるのは雨だけじゃなかった。砂に落ちていくのは雨だけじゃなくて。  

   

 

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