| 不思議な空間 不思議な時間
何処にでもいる子だと思った。すれ違った瞬間に肩が当った。 「えっ?」 何も言わなかったのに、何かが聞こえた気がした。薄茶色の肩までの髪が風に揺れる。 立ち止まったまま、瞳だけが重なる。何か言いたげな瞳をしていた。 軽く会釈だけをして、私はその場を立ち去ろうとした。 「あのぅ…」 「はい?」 困ったような顔で、すまなさそうに口を開いた。縋りつくような瞳が印象的だった。 「ここ、何処ですか?」 問われている意味が解らず、発する言葉を忘れ次の言葉を待った。 「今はいつなんですか?」 ますます解らなくなる意味のとらえようのない質問。 「いつって言われても…3月25日、午後1時25分。これでいい?」 「何年のですか?」 「2001年、平成13年、ついでにここはN市」 早くここから立ち去りたくなってきたから、言葉少なに答えた。 「そんな…」 突然、顔に手を当てて彼はその場にしゃがみ込んだ。 「ち…ちょっとあなた、どう?」 すれ違う人達が、少し不思議な表情を浮かべながら通りすぎていく。 立ち去る事も出来ずに、とりあえず彼の手を引っ張って立ちあがらせた。 とりあえず人の目につかない所に移動した方がいいと案が頭に上った。 「ここは、人が通るから、あっちに行こうよ」 右手に見える公園を指差して、彼の少し前を歩く。 公園は、比較的空いていて、人もまばらで隅のベンチに座る事が出来た。 ベンチに座ると、私は回りを見回して自動販売機があるのに気が付いた。 「ちょっと待っててね」 よく冷えたコーラとウーロン茶を買うと、一本を彼に渡した。 「飲めば、落ち着くかもね」 一体、何が起こっているのかすら理解してもいないのに。 「ありがとう」 小さな声で、返事があった。 ウーロン茶を一口飲んで、彼は絶望したような表情を浮かべた。 「あの…これから僕の言う事を信じてもらえますか?」 「話しによるけど」 「そうですけど」 「とにかく聞いてみないと、何も解らないけど」 彼は、深呼吸を一つして空を眺めている。 「この建物、どうしたの?もっと高くなかった?」 「えっ?」 彼の指す建物は。何年か前に起こった地震で崩れ、立て直された物だった。 「震災で無くなっちゃったから」 「地震があったの?いつ?」 「いつって、あなた。覚えてないの、あんな大きな地震を」 「じゃっ、あの時の?・・・そんな馬鹿な・・・」 突然、思い出したように走り出して公園を飛び出して50Mほど先の角を曲がって行った。 「ちょっと、待ってよ」 いきなりの行動に慌ててその後を追いかけて、やっと追いついた。 「ここは、こんなじゃなかったのに・・・僕の家は?」 「あの、さっぱり解らないんだけど?、そこは起こった火災で焼け野原だった所」 「じゃぁっ、僕の家族は?」 「ここにあった家の人は、亡くなったか引越したとしか聞いてないけど」 「そんな馬鹿な・・・だってさっきまで、そこにいたよ、僕のそばに」 「あなた、頭大丈夫なの?真面目に話してよ」 突然、彼はしゃがみ込んで声を立てて家族を呼びながら泣き出したから 私はどうしていいのか解らず、彼の小さな背中を見ていた。 「僕の家族、僕の家が、ここにあったんだ」 今は唯の空き地になった空間に、しゃがみ込んで彼は動こうとはしなかった。 「本当の事を言ってるの?冗談じゃなくて?」 彼の泣き顔(大体、人の涙には弱いんだ、あたしは)を見ていたら何故か信じ始めてる 自分がいるのに気付いた。為す術もなく彼が落ち着くのを待つしかなかった。 「あなたの言ってる事を信じろって方が難しいんだけど、嘘を言っているようには見えないし、 頭が可笑しい訳でもなさそうね」 少し、泣き声が小さくなったのを見計らってその細い肩にためらいながら手を置いた。 「ごめんなさい、こんな話信じろって方が無理な話ですよね。君には関係もないのに、 聞いてくれてありがとう。もう行かなきゃ」 「えっ、行くってどこへ、宛てでもあるの?」 「もし、僕が本当に時間を超えてきているとしたらまた戻れるはずなんだ、家族を助けないと 本当にあの瞬間の揺れが地震なのなら、大変な事になってる。」 「どうやって、それにもし本当ならあの地震の後ここは火が一番強かった所なのよ」 いつの間にか、彼の話を信じてる私だった。彼の瞳は何のかげりもなく、偽りも無く見えた。 「それでも、ここに居ちゃいけない人間なんだ、僕は多分あの場所で死ぬのが運命なんだ」 「嫌、死ぬって解ってる人を帰したり出来ない。ねっ、ここに居て暮すの。きっと話が 本当なのなら、誰かがあなたを助けてくれたんだと思うの、だから・・・」 「信じてくれるの?こんな話を」 「だって、嘘ついてるようには見えないし、そう言う話に弱いし、困ってる人を見捨てておけないし、 それに、なんか気になるし」 彼はすごく嬉しそうな泣き腫らした顔をくしゃくしゃにしていきなり私を抱き締めてきた。 その暖かい温もりが彼が生身の人間なんだと教えてくれている。 全然知らない人にしがみつかれてるのに、別に嫌じゃなかったからじっと立ってその力を 弛めるのを私は待ってから言った。 「少しは落ち着いた?」 「ありがとう、でも、僕は帰るよ、ここに居たら君に迷惑がかかる」 「死んじゃうのよ、ここに居て大人になっていけばいいじゃない」 彼は、空を見上げて何かを諦めたかのように小さく首を横に振って笑った。 「君はいい人だね、君に逢えて良かった。 誰も耳を貸してくれそうになかったんだ。誰も僕に気付かなかった」 「そんなのは嫌、だってこのままお別れだなんて」 「あの日のこの町もこんな風が吹いてた、僕は犬の散歩に出るつもりで玄関のドアを 開けた瞬間だった、そう、ちょうどこの場所」 「あっ・・・」何かが起こる予感。 小さな耳鳴りがキーンとし始めた。 「そんな馬鹿な事って・・・」 足元の地面が揺れている、そうこの小さな空間の中でだけ。 彼の身体が段々と半透明に見え始めたから、反射的に慌てて私はそばから離れないといけないと思った 「あっ、君の名前聞いてなかった、でもいいか、どうせ死ぬ運命なんだから」 「また逢えるから、きっと・・・・その時は呼んでね。春海って言うの」 「さよなら、僕は・・・」 「何?聞えない・・・」 ニッコリと笑った顔が消える瞬間だった。私にもあの瞬間の風景が見えた気がした。 「聞えなかったって言ったのに・・・」 あれから、私は彼を待ってる。 あの温もりを忘れない限りまた逢えそうな予感だけを信じて。 |