玉 石                               05/3/3
ところで、警察によって誘導された石川さんの 「自白」 と実際の状況とは、当たり前の話だが、くいちがいがある。
また、石川さんの 「自白」 には出てこない物証もある。さらに、犯人が何を意図して残したのか分からない物証もある。それらを紹介する。
 玉 石
荒縄と玉石、棍棒には警察も頭を悩ましただろう。
玉石は、「(YNさんの) 死体の右側頭部に接して人頭大の玉石1個を発見」 (実況見分調書) とあるもの。また、荒縄は、「死体には太い荒縄がたぐったように身体の上部においてあった」 (同) というものである。
棍棒は長さ0.94m、中央の太さ周囲11センチで、全長の約3分の1位さけた方に土が付着した状態は、この棒を一度泥土に差し込み抜きだしたような状態であった」 (同調書) というもので、死体埋没現場から20mほど離れた芋穴から発見された。
取調べでは玉石について、「何かのまじないか」 と、一応 聞かれている。しかし、石川さんは、「しらない」 と答えそのままになった。
荒縄については、死体の逆さ吊りということで 「解釈」 したが、頭の所にあった玉石、芋穴にあった棍棒については 「解釈」 できず、したがって石川さんの 「自白」 にもでてこないということになったのだ。
これは2審で争点となった。弁護団は、玉石・棍棒に関して、和歌森・東京教育大教授、上田・京大教授の 「『玉石・棍棒』 について」 という鑑定書を提出した。それによると・・・
「実況見分調書に見られる本件屍体埋没状況と、当該地方における墓制制度とを比較し、本件実況見分調書記載の 『玉石及び棍棒』 と当該地方の墓制制度を、文献と調査に基づいて検討すれば、本件屍体埋没の状況は、当該地方の墓制と関係をもつものであり、『玉石』  は明らかに墓石の墓制とつながりをもつと判断される。
・・・また 『棍棒』 は、いわゆるハジキの葬送習俗と関連をもつ棒杭のたぐいに類似しており、ハジキが常置するものではなく、ある一定期間が抜き取られて遺棄されるものであることも軽視し得ない。」
つまり、玉石は墓石 (拝み石) であり、一度土につきさし抜いたと見られる棍棒は、犬などが墓を荒らすのを防ぐ 「犬はじき」 の代用と考えられる、というのだ。すなわち、ただ死体を埋めたというより、<埋葬> なのではないかということである。
「自白」 には出てこない、死体の顔の下にあったビニール布や茶の葉の存在は、犯人が顔見知りであり、計画的殺人であることを推測させる。
ビニール布は、顔が直接土にふれないようにしたとしか考えられない。しかし、それが犯人の 「情け」 なのか、腐敗が進行しないようにするためかは分からない。さらに、茶の葉は腐臭を防ぐために用意された可能性がある。
また、八幡・東大教授は、 「残土について」 の鑑定で、<「風積性火山灰の成層」 =現場の土の中に 「玉石」 と言われるような石が自然に混入することはありえない> という結論を下している。つまり、何者かが持ち込んだのだ。和歌森・上田鑑定では川原からではないかと推定している。
しかし、寺尾判決は、
「・・・この石塊が以前から土中にあったものか、それとも茶株の根元辺りにあったものが、死体を埋めるために農道を掘り起こして埋めもどす際転がり込んだものか、何とも判然しない。
しかし、被告人が死体を埋没するため現場で土を掘ったのは、暗闇の中のことであり、懸命に急いで作業をしたと推認されるから、作業に夢中のあまり、石塊の存在に気付かなかったか、気付いても記憶に残らないということもあり得るから、被告人が捜査段階でこの石塊のことに触れた供述をしていないからといって、被告人が犯人でないとはいえない。
右の右塊が周辺地域の墓制からみて、墓石 (拝み石) ではないかとの所論は、なにしろ埋没した場所は人が踏み付けて通る農道であるだけに到底賛同することができない。」
だが、縦20cm・横16cm・高さ13cm・目方6.6㎏の石なのである。しかも右側頭部に接してあったのだ。
それに、荒縄の一部は、この玉石の上にもかかっていた。つまり、下から <ビニール布~死体~玉石~荒縄> という順番で埋められていったのだ。
寺尾判決の言うように、気付かないわけがないのだ。
この玉石の存在については、第2次再審においても争っている。だが・・・
「付近農地の開墾の歴史は古く、本件死体埋没現場は造成された農道であるから、以前に持ち込まれて付近に存在し、死体埋没の際に、たまたまその側に土砂と共に埋められたとしても不自然ではない。」 (第2次再審棄却・高木決定)
「本件死体埋没現場は造成された農道であり、付近には人家も点在しているのであるから、玉石が何らかの原因で、事件以前から同所付近に存在し、犯人が死体を埋没するために、土を掘削し、覆土した過程で、たまたま死体の側に存在するに至った可能性は否定し難い」 (異議審棄却・高橋決定)
彼らは、この大きさの石があるところで、気づかないかどうか、実際にスコップで掘って埋めてみるといいのだ。
 牛乳ビン
石川さんの 「自白」 には出てこない物に、半分中味のはいった牛乳ビン、ハンカチ、三角巾もある。これらはカバンの下から発見されたことになっている。これも、取調べで聞かれているが、「しらない」 と石川さんは答えている。
また、カバンの中には <刺しゅう糸2巻、真鍮編棒1本、紙片4枚、女物櫛1個、チリ紙若干> があった。もちろん、これらも 「自白」 にはでてこない。
牛乳ビンは、YNさんのものか犯人のもの (とすればなぜ残したか?) か、はたまた第3者 (と言えば警察しかないが) のものか不明のままになった。
牛乳ビンといえば、石川さんの作られた 「自白」 に出てくるものがある。<5月1日、午後2時ごろ入間川駅に帰ってきて、駅前のすずやという店でアイスクリーム1本と牛乳2本を買った> となっている。だが、店からは裏づけはとれなかった。
牛乳は飲んで、ビンは駅の裏に捨てたことになっている。が、石川さんの当日の行動が 「自白」 通りという印象をもたせる為に小細工が考えられたのだろうか。しかし、いくらなんでも牛乳ビンを持ちまわる犯人とは間が抜けすぎている。もし、警察が小細工を弄そうとしたとしても途中でやめたはずだ。
持ちまわると言えば・・・ついでだが・・・「自白」 では、いつのまにか石川さんは弁当箱を手放して行動したことになっている。しかし、弁当箱はちゃんと家にあった。・・・ここまでは、取り調べる側も考えが及ばなかったようだ。
石川さんの 「自白」 には出てこないこれらの物証は、石川さんの無実を明らかにするものであった。
しかし、寺尾裁判長は、「脅迫状を届けにいく途中・・・精神的に興奮しており、しかも薄暗い中で急いで行われたことであってみれば、記憶自体が不正確となり、あるいは事実の一部を見落とすことも考えられ」 と都合のよすぎる論理 (?) で切って捨てた。
しかし、牛乳ビンなのである。その上にカバンがあった。覚えていないはずがないではないか。
そもそも、カバンの発見自体に疑問があるのは既に書いた。石川さんの最初の方の 「自白」 では、カバンから教科書類をぶちまけ、同じ場所にカバンも捨てたことになっている。
ゴム紐~カバン 56m  教科書~カバン 134m
⑦殺害現場(「自白」)~⑧芋穴・死体  200m 
5月25日には教科書・ノートが発見されている。6月21日にカバンが発見されたのは小道をはさんだ反対側の溝であった。しかも、既に念入りに山狩りが行われていた所だった。
この発見者も関巡査部長だった。6月21日 (日付は疑問) 、石川さんはカバンを捨てた場所を聞かれ、教科書が発見された場所の地図を書かされた。それをもって関は出かけた。
石川さんの2審第3回公判での話によると・・・
・・・長谷部 (警視) は関が出かけた後、「カバンはでないだろう。関から違うという電話がかかってくる。本当は (小道の反対側の) 川のところじゃないか」 と言った。すると本当に電話がかかってきた。
石川さんが、「川じゃなく溝だ」 と言うと、「そこを書け」 ともう一枚地図を書かされた。関が帰ってきて、「おれの尻をみろ、まっくろになった」 と怒った。そして2枚目の地図をもって再度出かけた。
すると、本当にカバンが出てきた。長谷部は、「おれの鼻は犬よりいいんだ。君を警察にしてやりたい」 とか言ってみんなで笑った・・・。
この時、現場では、すぐ近くにいた人をさしおいて、遠くにいた教科書発見者のSMが立ち会わされている。しかし、SMが見たのは既に掘り出された後の状態であった。
くり返すが、カバンは本当にYNさんのものかどうかは別にして、既に警察の手中にあったのだ。それを、再逮捕後も否認を続ける石川さんが犯人であるかのように印象づけるため、「自白」 によって発見されたように装ったのだ。
牛乳ビン、ハンカチ、三角巾も、実際にYNさんのものかどうかは別として、このような工作の小道具として使われたのである。