御詠歌 〈拡大は写真をクリック〉 |
御本尊 厄除弘法大師 |
拝殿![]() |
脇仏 地蔵菩薩 ![]() ![]() |
海抜二百米足らずの山ですが、山里は静かな農村地帯です。当山を挟んで旧志度町と奥之院のある旧長尾町があります。
旧志度町末は昔、岡田村(現在地名はない)で御大師様の先生であった岡田牛養(うしかい)博士の里であり、今も岡田神社があります。御大師様と御縁が深い土地柄でもあります。
奥之院には岩から沁み込んでくる水もあり、かなり古くから厳しい修行場であったと推測されます。
真言宗では二大難行に八千枚護摩供と求聞持法がありますが、その一つ求聞持法の木札が数多く残っています。その中で何とか判読出来る木札は宝暦(1751~1763)年間です。それ以前の木札は現在残っている木札の数倍有りましたが判読出来ません。
又、もう一つの難行、八千枚護摩供の木札や五十万文殊菩薩の木札も残っております。この山には高松藩二代水戸光圀公の長子頼常(よりつね)公。九代頼恕(よりひろ)公の御廟があります。山裾には松平家菩提寺の霊芝寺(旧志度町)が在ります。
2019年2月 国指定史跡 松平家墓所より山頂までの全域(奧之院及び参道を除く)
碑
日内山全景・奧之院と求聞持堂
【梵字岩】
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《言い伝え》
信徒の方々は、魔伏せの梵字岩と呼んでおります。
この岩は参道を少し上った所の谷にあります。
阿という梵字が彫られています。
泉聖天と言う方に御聖天様から、こういう場所に
このような岩が在る掘り出すようにと啓示があり、
掘り出そうとしましたが高齢の為、事叶わず後を
後継者に遺言しました。
後継者が先師の遺言を成し遂げしょうと当山に来て、
其の話を聞きつけた人達と協力して梵字岩を掘り出したそうです。