【参考文献 「興教大師撰逑集 上下」 宮坂宥勝】
それ菩提心と申すは、すなわち阿字観①なり。 阿字観と申すは、本不生の理なり。
本不生の理と申すは、諸仏の心地②なり。諸仏の心地と申すは、一切衆生の色心実相なり。
色心実相と申すは、我が一心の心なり。 この心蓮③の上に、一の阿字あり。
字変じて月輪となる。月輪はすなわち我心起菩提心の形なり。
一切衆生ないし無心の草木、皆悉く備はりたり。阿すなわち我が心の形なるが故なり。
心は無相の法相なり。 無相の法といへども、また音声あり。
これ、すなわち出入りの息なり。 息はすなわちこれ命なり。
我等衆生と阿字は、すなわち一念の心と知らざる間、 願ふといへども真実の菩提心にあらず、
厭ふといへども、実の行にはあらず。
最後臨終の時も、この理を観ずるを正念に住するとは申すなり。
先ず口を開けば、必ず始めに阿の声あり。 何にと思はねども、法爾として阿とは云はるるなり。
すなわち、これ阿の真言を唱ふるなり。云々。
①阿字観。万有一切を阿字におさめて、本不生の理 法を観想するもの。
阿字は法身大日如来を象徴する 字音である。密教における重要な観法の一つ。
②心地。心の本性を万物を育成する大地に喩えたも の。
③心蓮。心臓が蓮の形をしているところから、肉団心 をさす。
(肉団心。中心となる心で、すべてのものがもつ真実 心すなわち如来蔵心。
hrd,hrdayaの訳語。真実心、堅 実心などとも。)
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