理事長挨拶
2012年 年頭挨拶
新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。2012(平成24)年の年頭にあたって、本法人を代表し、一言ご挨拶申し上げます。 昨年2011(平成23)年は、3月11日に発生しました東日本大震災の印象が強く、後世には、1995年という年と阪神・淡路大震災の関係がそうであったように、2011という年(数字)と大震災の記憶が結びつけられて、ずっと語り続けられることになると思います。それだけ、今回の災害が日本社会に与えた影響は相当に大きなものでした。それは単なる人的、経済的損失というだけにとどまらず、心理・精神面で受けたダメージについても、計り知れないものになったと思います。 そして同時に、原子力発電所に代表されるように、私たちの便利な生活というものがどこか誰かの犠牲の上にはじめて成り立っているものであること、しかもそうした一部への犠牲を他の誰でもない私たちが承認してきた、という事実が露わになったことも銘記しておくべきではないでしょうか。私も「電気はついて当たり前」というふうに思っていたのですが、実は発電所建設を地元が引き受けて下さっていたからこその話であって、そうした地域の人たちの負担までを到底意識していなかったと思います。同じような自戒を込めている方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。 原子力発電と同じようなことは、あるいは沖縄の基地の問題にも当てはまることなのかもしれません。日本の安全は、一部の地域の負担のみでは支えきれないのは当たり前のことでしょう。このように考えると、原発事故・沖縄基地の問題では、世論やマスコミも東電や政府への批判ばかりになりがちですが、実は私たちこそが原発事故の当事者であり、あるいは沖縄基地負担解消の責任を担っていることをしっかり自覚し、受け止めていくべきではないかと、節電を心がける毎日の中で思わされた次第です。 こうした反省の上に立って、例えば原子力をどうするのか、代替エネルギーをいかにして確保していくのか、等々について国民的な議論が欠かせません。またこうした面での責任を自覚すればするほど、私たちは震災からの復興やエネルギー政策に関わるコスト、それも金銭的なそれをどう負担すべきかという問題に向き合わざるを得ません。増税無しでやっていくのか、あるいはそれは無理なので増税するのかということは、そのまま年金、医療などの社会保障問題にも結びついていくことになります。同時に、そのまま障害福祉サービスの負担をどうするのかという課題にも直結しているのです。 先述の通り、今回の震災は私たち日本人の心理面に大きな傷を与えました。今、東北の人たちだけではなく,日本全体がこの問題で苦しみを覚えています。ある意味で、しばらく日本は内向きにならざるを得ないと思います。しかし、同時にそれは改めて私たちの社会のあり方、それに対する責任の所在を考え直すよい機会が与えられたということになるのかもしれません。もしそうであれば、内向きになっても真摯にこうした課題に立ち向かっていく中にこそ、次の希望が見いだせるのではないかと思わざるを得ません。 新年を迎えてのご挨拶にもかかわらず、内容が深刻なものになってしまいました。実際に皆さまの中でも心を痛められたままという方も多いと思います。その意味で閉塞感が広がりつつある中ではありますが、もう一度私たちの社会を見つめ直すチャンスだと是非ともお考えいただければ幸いです。そうした中で、皆さまに新たな夢と希望が生まれてきますように。そして、それがこの社会に広く波及していきますように。 本年も皆さまのご多幸をお祈りいたしまして、私のご挨拶とさせていただきます。 理事長 松岡克尚
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