はじまりはここから
 こんにちは、幽霊です。今日は少し古い話をさせて貰います。
 あれは今から半年ほど前の話です。あの頃の私はなんといいましょうか……普通の幽霊でした。突っ込み所のように思えるでしょうが、本当の話です。
 あの頃の私は本当に普通でした。特売に心ときめかせるわけでも、人肌の温もりに心奪われるわけでもなく、ただ、世の中に深い恨みを持って存在しているような気分でした。具体的に何を恨んでいるというわけでもないんです。ただそんな気分だったのです。解りやすく言うと『盗んだバイクで走り出す』チックなお年頃って奴です。いわゆる中二病。高校生の癖に中二病です。一気にオカルトな雰囲気が消えましたね。幽霊の大部分はこんな物です、冷静に考えて。
 そんなささくれだった私の心をぶつける相手は一人しかいませんでした。
 乾物のお兄さんです。
 あの頃の私は乾物コーナーに磔だったので、欲望と恨みをぶつける相手は乾物コーナーで働く方だけです。最初の頃は他の人もいたのですが、気がついたら、このお兄さん以外の店員さんはほとんどいらっしゃらなくなりました。仕事を押し付けられたようです、ざまを見てください下っ端。
 お客さんは沢山いらしていたのですが、お客さんはほら……やっちゃうと何かとピンチなような雰囲気があります。お祓いされるとか……地味に安牌だけをターゲットにするあたり、この病を患っている不良臭いです。思い出すと顔から火が出そうになります。今でも安牌しか狙っていませんが……
 このお兄さんの背中にしがみつき、『こんな世の中、滅んでしまえ』的な怨念をぶつけます。暗いです、今の清く正しくちょっぴりエッチな幽霊さんとはキャラが違います。ダーク幽霊さんです。
 まあ、やってることはダークでもライトでも同じ訳なんですが、気にしないで下さい。私は気にしません。
 ただ、やってることは同じですが、結果が違っていました。
 察しの悪いお兄さんの背中にいくらしがみついても、温かい気持ちなんてなれなかったんです。いくらスリスリしてもぬくぬくにはなれません。それどころかむしろ、より深く世の中を恨んでいくような……そんな感じでした。
 だって、お兄さん、死なないから……ちっ……本気で舌打ちしていました。ダークです、ダーク幽霊さんです、ダーク幽霊さんは語呂が悪いので悪霊さんとでもお呼び下さい。どっちも悪いですか? そんなことを言う人は死んで下さい。
 灰色の世界の中、お兄さんの背中にしがみついて、グチグチとなんの役にも立たない恨み言を呟く普通の幽霊……それがあの頃の私でした。嫌になりますね、自分が……
 何が嫌になるって、そこまでダークな雰囲気をかもしながらも、生もの皆さんを肩こりにすることしかできなかったってあたりが一番嫌になります。『俺も落ち着いたよ』的な台詞と共に誰かに語れる武勇伝が欲しかったです。突っ込み所。

 そんな感じで、立派な悪霊さんへの道を歩んでいた私でしたが、そんな私に一つの転機が訪れました。その日も私はいつものようにお兄さんの背中にすがりつき、耳元でグチグチとこの世に対する恨み言を呟いてました。
「世界では多くの人が戦果によって命を奪われています。人類は全て滅びるべきなのです」
 偉そうです、何様でしょう? 自分で自分に突っ込んでしまいます。セルフツッコミです。新しい芸を覚えました。
 しかし、お兄さんは聞く耳も持たず、肩が凝ったとつぶやきながら仕事をするだけ。それが余計に私の気分を害しました。
「お兄さんは資本主義の豚です……」
 赤が入ってますね。共産主義に目覚めてしまうのも中二病の一種です。気をつけましょう。特に大人になっても赤に……危なそうなことを言いそうな気がしたので以下略です。
 とまあ、こんな感じでいつものようにお兄さんにグチグチと文句を言っていた私でした。が、その時でした。私の背後で何処かのお馬鹿さんが伯方の塩をぶちまけたのは。
 この時がお塩初体験の瞬間です。初体験、良い響きですね。
 このなんとも言えない幽霊の本能を刺激する不快感。わかりやすい例を言うならば、大きな一抱えもあるような壺を思い浮かべて下さい。そこ一杯にあふれかえるミミズとムカデと蛇、それが自分の斜め後ろ後方に存在してる、そんな不快感です。外骨格なムカデさんが間接をならしてギチギチ言ってるのとか、蛇さんの空気の漏れるような呼吸音とか、ミミズさんのやけに粘着質な絡まる音とか、そう言う効果音を思い浮かべるとより、私の気分に近づけます。
 想像しましたか? 気持ち悪いでしょう? 自分で言ってて気持ち悪くなりました。吐きそう……
「いっ……いあぁぁぁっぁぁぁぁぁぁ!!」
 日々ローテンションを心がけている私ですが、この時ばかりは悲鳴を上げました。
 一刻も早くそこから逃げ出したいという根源的な欲求と地縛霊という体質的な問題、その間で私の不快感だけが増大していきます。拷問です。ストレスで胃に穴が開きそうになります……ような気分になるだけで穴が開くような胃は持ち合わせてません。
 増大するストレスが最高潮に達した瞬間でした。私の周りの風景が一変しました。後方に流れてゆくのです。そう、私は――
 走って逃げていました。それもかなりの全速力で。粋がってる割りに、不測の事態が発生すると逃げ出す……本当に不良学生っぽいです。
 なんにせよ、これで乾物コーナーに磔の刑ともおさらば、今日からは別の人間にも恨み言を言えると、私は少しだけ喜びました。しかし世の中、そんなに甘くはありません。
 私自身が知ったばかりのお塩嫌いが、乾物のお兄さんの口から全店規模で知れ渡ってしまったのです。この時から、お兄さんが私にとっての特別な存在になりました。恨んでる相手、と言う意味ですが。
 この世への恨みを訴えようにも少しでも生ものさんに近付くと、大ッ嫌いなお塩がばらまかれます。そして、私は例の「壺一杯のミミズとか蛇とかムカデとか」と同レベルの不快感を感じさせられるのです。
 イライライライライライラ……
 店内を徘徊しては塩持て追われる日々の始まりです。ただでさえ、世の中を恨んでいる幽霊相手にこの仕打ちです。私の恨みパワーは高まる一方です。もはや、触れる物みな傷つけるベルだと言っても過言ではないでしょう。
 その日もパンコーナーで恨み言を言う相手を見付けた途端、その相手がお塩を取りに行ってしまいました。
「またですか? お塩なんて凶器を使うとは……正々堂々と勝負をすべきです」
 またもやストレスが溜まります。溜まったストレスが目から溢れてきます。
 どうせ私はこのまま、この店が潰れるまでお塩で追い払われる運命なのでしょう……それも良いかも知れません。所詮は幽霊ですから。そのうち立派な悪霊となって世間に復讐してやります。店員全員、重度の肩こりにするとか。棚の上に荷物を置けなくなって、潰れてしまえば良いんです。こんな店。
 こんなスケールの小さな事を考えながら、その日の私はパンコーナーの片隅でたたずんでいました。
 その時でした。ふと、顔を上げるとそこには、私をこういう待遇におとしめたお兄さんがいたのです。しかも女連れです。
 ――身長十五センチほどの羽のある小人ですが。
 お兄さん、マニアです。なんだか犯罪臭がぷんぷんします。
 私をこんな目に合わせておきながら、自分は楽しげに犯罪行為ですか? お兄さん。許せません。もはや、肩こりでは許しません。今の私ならば命すら吸えそうな気がします…………気がしただけで実際には吸っていないので安心して下さい。
 ペトリ。
 お兄さんの背中に全身を押し付け、ついでに頭の上の小人も両手で押さえつけます。
「犯罪者です、見損ないました。死んで下さい。そして、いっしょに迷いましょう」
 いつものように耳元で恨み言をつぶやきます。
 この時、私は心の隅っこで「どうせまた、お塩で追い払われるんだろうな」と考えていました。なんといっても、私のお塩嫌いはお兄さんが見付けて店中に広めたことですから。しかも、このお兄さん、定期的にお塩を撒いて自衛する知恵の持ち主。すぐに対応されるのがオチだと思うのは当たり前です。
 しかし……どうしたことでしょう? ちっともお塩が撒かれる様子はありません。
 それどころか、私が彼女を床に叩きつけた後も帰ってきました……不思議です。お兄さんの方は逃げ出していますが、この小人……どうやら妖精っぽいですのですが、何度も何度も、床に叩きつけられたところで立ち上がってきます。
 馬鹿ですか? いえ、疑いの余地もなく、完璧な馬鹿です。本当に馬鹿です。どうしようもないくらいの馬鹿……私と勝負でもしているつもりなのですか? 勝てっこないのに?
 ならば迎え撃ちましょう、全力で。大人げないほどの全力を持って迎え撃ちます。一切の妥協も手加減もいたしません。ついでですので、最近溜まったストレスも発散してしまう勢いの全力で迎え撃ちます。かかってきて下さい。
 床にはいつくばっている妖精の近くにしゃがみ込み、彼女が浮かび上がるたび、バスケのドリブルでもするかのように叩き落とします。意外と上手です、私。もしかしたら、生前はバスケ部の部員だったのかも知れません。ゴール下の地縛霊。鉄壁な雰囲気があります。
 もちろん、私は一切負けませんでした。ええ、そりゃもう、相手が一方的にズタボロになっていくだけです。硬いリノリウムの床に叩きつけられているのですから、生きてるのが不思議なくらいです。
 途中、私の背後でお塩が撒かれるというハプニングもありましたが、とりあえず、無視しました。今、忙しいので。気持ち悪いには気持ち悪いのですが、ここで逃げてこの空飛ぶドチビに勝ったと思われるのはしゃくです。全身打撲、全身粉砕骨折で二度と立ち上がれなくなるまでは、例え、背後どころか頭の上にミミズをおとされるような不快感を感じても逃げ出すわけにはいきません。このドチビ相手のバトルでしたら、そのくらいの不快感は丁度良いハンデです。
「くすっ……」
 その時、不意に笑みがこぼれました。多分、髪もドレスも埃だらけになった挙げ句、鼻血吹いてるおチビさんの顔が面白かったのでしょう。それでも必死に立ち上がって、右手に持っている針みたいな物を振り回しているところが面白かったのかも知れません。
 乾物コーナーにたたずみ始めて以来、初めての笑い声だったかも知れません。
「……飽きました」
 私はそう呟いて立ち上がりました。
 そろそろ、背後にばらまかれたお塩への我慢も限界です。残念ですが、今日のところは私の負けと言うことで引き下がってあげましょう。どう見ても私の勝利ですが、ここで負けを認めるあたりが、私の奥ゆかしさです。突っ込み所。
 ゆっくりと周りを見渡してみます。一番に目に付いたのは、ハムとソーセージの特売。しかも、実演販売付き。それに賑やかな店員やお客さんの声、そして……色の付いた世界でした。
 妖精相手にドリブルの練習するよりも楽しそうな世界かも知れません。ひとまず、ハムの特売でも覗いてみましょうか……その後は、そうですね、せっかくフラフラできるようになったのです。食品売り場以外のところにも行ってみたいです。
 窓の外からは直視するにはまぶしすぎますが、暖かい日の光。ドチビ妖精の体も同じくらいに温かい……ほんの少しだけ自分の頬を彼女の体にこすりつけてみました。
 暖かいですね……ほんの少しだけ、心がみたされるような気がしました。この暖かさがあれば、明日からは少しだけ前向きに存在できそうな気がします。
 さてと……行きましょう。本当は全身打撲で死ぬまで弄びたかったのですが、諦めて差し上げます。急に予定が入ったので。
 と、その前に……
「ありがとうございました」
 聞こえないかも知れませんが、とりあえず、お礼だけは言っておきます。素直にお礼を言ってみて更正をアピールするあたり、程度の低い不良さんそっくりです。自分でも嫌になります。突っ込んでおいてください。シャレにしないと恥ずかしすぎるので。
 あの後、初参加の特売は非常に楽しく、また、人向ぼっこも開発してしまったのは別のお話です。特に特売の楽しさはあり得ないほどです。ちょっとした試食に釣られて買ってしまうお客さんの哀れっぷり、最高です。一言で言ってはまりました。

 オマケです。
 立ち去る私の背中にお二人の声が聞こえました。
「成仏したのかしら?」
「多分な」
 いえ、そんな気は毛頭ありませんよ。特に乾物のお兄さん、貴方は私に目を付けられました。覚悟してください。

書庫