おとぎ話
 今夜も妖精さんのお話をしてあげましょう。あなたが今夜も良い夢を見られるように、恐い夢を見ないように、妖精さんが遠いお空の下からあなたを見守ってくれるように。
 昔々、と言ってもあなたが産まれるほんの数年前、そして、今でも同じように紡がれ続ける楽しいおとぎ話。さぁ、目を閉じて、可愛いストローを持った妖精さんを想像して……
「ママ、ようせいさんは今でもいるの?」
 ええ、きっと今でもあのお店でコーヒーを飲んでいるわよ。小さなストローでチューチューってね。このお話はそんな妖精さんと一人の女の子のお話。
 妖精さんと女の子が出会ったのは、桜のつぼみが膨らむ春の始まり。誰も知り合いの居ない街にやってきた女の子は、一軒の喫茶店にやってきました。
 そこに居たのは手のひらに乗っちゃうような小さな小さな女の子の妖精さん、女の子だけにしか見えないのに、みんなに歌声を届ける変な妖精。
「どんなようせいさん?」
 えっとね、白いお洋服を着て、背中に小さな羽のある妖精さんよ。妖精さんがお空を飛ぶと金色の長い髪がきらきら光って、まぶしいくらい。
『名前は? 大学生? あっ、新入生? 学部は? 年齢は? 彼氏居る? それから……処女?』
『……はぁ?』
 ……
「ママ、どうしたの?」
 ううん……ごめんなさいね、お話しを少し思い出してたのよ。コーヒーが大好きな女の子の妖精さん。妖精さんはその女の子の一番のお友達になってくれました。
「わたしもこーひー、のみたい」
 うーん、あなたにはちょっぴり早いかな? じゃぁ、明日、良い子だったらお砂糖とミルクの沢山入ったあまーいコーヒーを煎れてあげましょうね。
『だから、どうして、あなたはコーヒーにこんなに砂糖とミルクを入れるのかしらね?』
『……これ、私のコーヒーなの、判ってる?』
 ちゃんと良い子にしていたら、甘くておいしいコーヒーを飲ませてあげるわね。
「うん、ぜったいにいいこにする〜ちゃんとおかたづけもするよ?」
 じゃぁ、ママとお約束ね。あっ、でも、あなたはストローでコーヒーを飲んじゃダメよ? 熱いコーヒーをストローで飲んだら、お口を火傷しちゃいますからね。妖精さんは熱いコーヒーもストローで飲んでいたの。女の子は、お口が熱くならないのかな、っていつも心配してました。
 ……ほら、ちゃんと目を閉じてなさい。おねんねしながら聞くって言うお約束でしょう? 目を開けてたら、いつまで経ってもおねんねできませんよ。

 女の子と妖精さんはとてもとても仲良しになりました。
 女の子は妖精さんと一緒に色々なところに行きました。
 春は桜舞い散る山。大きな大きな桜の木の下で二人きりのお花見、コーヒーとサンドイッチを持ってお出かけしました。
『ほら、この木よ。まだまだ、元気みたいで安心したわ』
『凄い……こんな大きな桜の木、初めて……』
 大きくて古い桜の木は、女の子と妖精さんを花吹雪でお出迎えしてくれました。妖精さんは舞い散る花びらと暖かなお日様の中で、女の子のために踊ってくれました。お日様よりも金色の髪をなびかせ、小さな手足と羽を一生懸命動かして。

 夏は太陽のまぶしい海辺。真っ白い砂浜とエメラルドグリーンの海、二人で水着に着替えて泳ぎました。
『ちょっと自分が大きいからって……自慢しないで欲しいわね……』
『……どっちかというと小さい方なんだけどな……』
 二人で浮き輪につかまってちゃぷちゃぷと水遊び。海のお水に浮かんでいると、女の子もちょっとだけお空を飛んでいる気分。妖精さんは女の子の頭の上で甲羅干し、でも、焼き過ぎちゃって次の日はちょっぴり辛そうでした。うふふ、妖精さんの白い肌が赤くなっちゃって、凄く痛そうだったの。

 秋は紅葉の美しい並木道。舞い落ちる紅葉は仲良く一緒に歩く二人を包むみたいでした。
『食欲の秋ね……』
『……』
『サツマイモ、栗、サンマ、新米……この時期はなんでも美味しいわよね』
『……太ったって言いたいんでしょ……言いたいならはっきり言いなさいよ……』
『……いえいえ、胸が育ったようで、羨ましいだけだわ。幼児体型の妖精さんとしては』
『この嫌み妖精……』
 あつあつの甘い焼き芋を二人で歩きながら食べました。妖精さんも大喜び、ほっぺたやおでこに食べかすを引っ付けちゃうくらい。女の子はそれが可愛くて言ってあげなかったの。そしたら、妖精さんは怒っちゃって大変。白いほっぺをぷーっとふくらせて、ぷんぷんって……でも、それも可愛くて女の子は笑っちゃいました。女の子が笑うと、妖精さんも笑っちゃいます。二人はいつも笑ってばかり。

 冬は雪に埋もれた白い街。お家もビルも道路も全部真っ白、凍えるほど寒い道を二人で一緒に歩きました。
『ちょっと! 気をつけて歩きなさいよ! あなたが転んだら、私まで怪我をするわ』
『だったら、自分で飛びなさい! その羽、飾り!?』
『寒いのよ!』
『寒いのは私も同じなの!!』
 ツルツルに凍った道はとても歩きにくくて、女の子は羽を持ってる妖精さんが羨ましくなっちゃいます。でも、せっかく羽を持ってるのに妖精さんは女の子のポケットから出て来ません。だって、女の子のポケットはとっても暖かくて、居心地がいいんですもの。妖精さんが出たくなくないのも当たり前ですね。

 そして、妖精さんはいつでも女の子の肩の上にちょこんと乗って、色々なことをお話ししてくれました。
 初めて恋をしたとき。
『無理目よねぇ……』
『うるさいわね、ぜーったいにコクってやるんだから!』
 その恋に破れたとき。
『……ほら見なさい……』
『もー恋愛はしない、私は一人で生きていってやるんだぁぁぁぁぁ』
『……って言って、本当に恋愛をしなかった女を見たことないわ』
 しんしんと雪の降り積もるクリスマスの夜。
『クリスマスの夜に喫茶店で一人、サンドイッチ摘んでる、哀れなものね……』
『ふん、あなたが居るじゃない』
『言ってて空しくない? それと、ケーキは?』
『……ちょっと……ケーキなんて食べてたら、もっと空しくなるじゃないの……空気読みなよ』
 ホンのちょっぴり大人になったとき。
『おめでとう、処女のまま二十歳になったわね。付き合い長くなるわよ……ハタチすぎると』
『……うるさいわね』
『で、祝ってくれる男はなし……めでたいのかしらね?』
『めでたいのよ! 素直に祝いなさい!!』
 いつもいつも、何があっても、何もなくても、妖精さんと女の子はいつも一緒。女の子には他にも沢山のお友達が居たけど、やっぱり一番のお友達は妖精さん。

 妖精さんは歌も上手だったのよ。とても素敵な声で、沢山の歌を女の子に聴かせてくれたの。
「どんなおうた?」
 そうね、本当に沢山のお歌だったから、女の子も覚え切れないくらいだったのよ。女の子が一番好きだったお歌は、お月様に連れて行って、って言うお歌だったの。
「へぇ〜ママ、そのおうた、うたえる?」
 うーん、ママにはちょっぴり難しいかな? 妖精さんはとってもお歌が上手だったから、女の子が歌うにはちょっぴり難しいの。だから、女の子は妖精さんに良く頼んでいたのよ?
『ほら、あれ、歌ってよ。ジャズの英語の歌』
『いい加減、タイトルくらい覚えたら? 一応、文系でしょ?』
『……言ったら発音が変だって笑う癖に……』
 妖精さんは女の子がおねだりしたら、いつも楽しそうに歌ってくれました。大きな澄んだ声、そうね、沢山の鈴を順番にならしたようなお声って言うのかな? 女の子はそのお歌を聴きながら、コーヒーを飲むのが大好きでした。
「わたしもようせいさんのおうたがききたいな」
 いつか聞けると良いわね。そうそう、妖精さんのお歌を聞くときは、妖精さんが歌を間違えたときに笑っちゃダメよ。もし、笑ったら妖精さんは、怒って歌うのを止めちゃいますからね。

 女の子はずっと妖精さんと一緒だと思っていました。ずっと妖精さんのお歌を聴きながら、コーヒーを飲み続けられるのだと思っていました。女の子から大人の女の人になって、素敵な男の人と結婚して、子供が出来て、その子供が大人になって……女の子がお婆ちゃんになるまで……ずっとずっと一緒だと思っていました。
 でも、妖精さんは知ってました、いつかお別れが来るって事を。
 そのお別れの日がやってきました。女の子が、女の子のママやパパの所に帰る日です。
 その日、女の子は綺麗な綺麗な着物を着て妖精さんの所に行きました。
「どんなの?」
 えっと、赤い和服の……小振袖って言うんだけど……まだ、判らないかな? あなたが大きくなったら、一着買ってあげましょうね。
 ぴかぴかの綺麗な着物、それを着た女の子は、パパやママよりも先に妖精さんの所へ見せに行きました。
 そして、いつも通り、コーヒーを飲みながらのおしゃべり。でも、全然楽しくありません。だって、女の子は一生懸命、泣くのを我慢してたんですから。
 女の子は妖精さんにお願いしました。一緒に行きましょう、って。女の子のパパやママの所に行きましょうって。
 でも、妖精さんは首を振るだけ。ちょっぴり悲しそうだったかな、妖精さんは平気な振りをしてたけどね。でも、女の子にとって妖精さんは一番のお友達、妖精さんが我慢しているのはすぐに判りました。妖精さんは、きっと、妖精さんが寂しい顔をしたら、女の子がもっと寂しくなっちゃうことを知っていたのね。
 だから、妖精さんは一生懸命我慢して、いつもの通りにおしゃべりしてくれました。
 だから、女の子も一生懸命我慢して、いつも通りのおしゃべりを続けました。
 熱いくらいだったコーヒーがぬるくなって……そして、冷たく冷え切ってしまうまで……二人は一生懸命我慢して、いつも通りのお話しを続けました。
『よく似合ってるわ……胸の大きなアーパー娘だとは思えない』
『……だから、私の胸は大きくないんだってばぁ……』
『私より大きいわ』
 外はその冬最後の雪が降っていました。
『ねえ、それより……本当に付いてこないの?』
『それよりって……私には大きな問題なのだけど……私の家はここだけ。何回も言ったわ。やっぱり、アーパー女ね』
『……うん……アーパー女だから……覚えてない』
『認めないで欲しいわ……』
 ひとひら、また、ひとひら、舞い落ちる花びらのような雪が窓から見えていました。
『また、会いに来て良い?』
『来なくて良いわ……誰かを待つのは嫌いよ』
『……うん……判ったよ』
 雪は窓に落ちるたび、あっという間に溶けてしまいます。溶けた雪は大きな窓ガラスに一筋の足跡を残すけど、それすらもあっという間に消えてしまいます。
『そうそう、言い忘れてたわ。卒業、おめでとう……貴女の歩む道が平坦で幸せに溢れた道であり続けるように祈っているわ』
『忘れてたの? 御利益、なさそう』
『ええ、御利益は保証しないわ』
『……あなたこそ、認めないでよ……』
 出会いは三月、そして、お別れも三月。出会った日は春の始まり、お別れの日は冬の終わり。
『……さようならは言わないわ。大好きよ、これまでも、これからも。忘れないわ、あなたが私を忘れてしまっても……』
『忘れる……忘れるわけないじゃないの!!!』
 やっぱり、女の子は我慢しきれなくなって泣いちゃいました。沢山沢山、涙が枯れてひからびちゃうかと思うくらいに泣いちゃいました。妖精さんは泣いちゃった女の子を、ちょっぴり困ったような顔で見つめていました。きっと妖精さんも泣きたかったのね。でも、女の子が泣いちゃったから、泣けなくなっちゃった。だって、二人で泣いてたら、いつまで経っても泣き止めないもの……
 だから、妖精さんは泣く変わりに、泣いてる女の子のほっぺに自分のほっぺをギュッと引っ付けて、女の子が泣きやむまでずっとそうしていてくれました。
 暖かなほっぺた、それが嬉しくて、でも寂しくて、女の子はまた泣いちゃいます。
『……私、もう、帰らない。ここにずっと居る……』
『私はいやよ。これ以上あなたの面倒を見るのは』
『……面倒を見てたのは私だぁ……』
『……それに、胸を自慢するばっかりの女は嫌なのよ。次は男性が良いわね。やっぱり、淑女には紳士が似合うと思わない?』
『……ふっん、そんな……ぺったんこな胸だと……男にはもてないんだから……』
『……大きなお世話よ……いい加減泣きやみなさい、このドレス、シルクなのよ? シミになるわ』
 女の子はいつまでも……女の子のママがお迎えに来るまで泣き続けていました。
「女の子、そんなに泣いちゃったんだ?」
 うん、でも、女の子は泣きやんだの。妖精さんに『大好き』って言うためにね。泣きなながら『大好き』って言われても嬉しくないでしょう?
 だから、女の子は顔を上げ、涙を拭いて、妖精さんとお別れしまた。これでお仕舞い……
『大好きよ……これまでも、これからも。忘れないわ、あなたが新しい人に見付けられても、私があなたを見えなくなる日が来ても……』

「ようせいさんもなきたかった?」
 きっとね、だって、妖精さんの大きなお目々には沢山の涙が溜まっていたもの。でも、妖精さんは一生懸命、その涙がこぼれ落ちるのを我慢しててくれたの。
「ようせいさん、さみしいさみしいっていってるかな?」
 うふふ、どうかな……今頃、他の男の子と出会ってるかも知れないわね? ママがパパとあなたに出会ったみたいにね。
「わたしも……ようせいさんに……会える……かなぁ……すぅ……」
 ええ、きっと会えるわ。あなたがもうちょっと大人になって、あの田舎の……いつまで経ってもちっとも都会にならないあの町のあの学校に行くことになったらね……
「すー……すー……ママ……ようせいさん……んぅ……」
 寝ちゃったのかしら? 妖精さんの夢を見られると良いわね……お休みなさい。

「この娘があの大学に行ったら、あの時みたいに『処女?』って聞いてあげてね。その時は会いに行っても良いわよね、私を待たなくても、この子がいるんだから……でも、止めておこうかな……新しいおとぎ話に保護者は必要ないものね、アルト……」

 And, ten years passed.
 田舎の大学に進学した少女は古い喫茶店で一人の妖精に出会う。
「ママが妖精さんに『御利益あったよ』って……」
「そう、良かったわ……所で……処女?」
「……はぁ?」
「ふふ、その顔、あなたのママそっくりだわ。これから四年間、よろしくね」
……それは新しいおとぎ話の始まり。温かなコーヒーの香に包まれた妖精さんと女の子のおとぎ話は、その時始まる。

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