このお話は激烈に番外編です。これを書いてる時点(八月十三日)での作中年月は良夜二年のお正月前後ですが、今回のお話は真夏、八月です。時系列的には三年の八月くらいだと思ってくれればいいです。その辺のことを軽く考慮に入れて読んでください。

 流星群の夜
「良夜、今夜、暇?」
 夏休み、お盆、何気なく喫茶アルトに昼飯を食いに来た良夜は、いきなりアルトの質問に相対していた。いや、これは質問とは言えない。なぜなら、彼の目の前には鈍色に光るストローが突き出されているから。
「……暇じゃないと言ったら?」
 おそるおそる尋ねてみると、アルトのストローがわずかに揺れ、彼女の口角がかすかに歪んだ。そして、答える言葉はたった一つ。
「刺す」
 地の底から響くような冷たい声、彼は背中にゾクリと何かが走ることを禁じ得なかった。
「どーせ、やることと言えばタカミーズと呑むか、他の誰かと呑むか、エロゲーやって歪んだリビドーを発散するかの三つに一つでしょ? 暇だと言いなさい」
 揺れたストローが良夜の視野の中で一杯になる。細い癖にしっかり穴が開いているんだなと今更ながらに感心してみたりしても、答え一つでこれが彼の目ン玉に刺さる事実だけは変わらない。
「バイト、お盆は休めないの知ってるだろう? それを知った上で脅迫してんなら、お前のこと、もう友達だと思わないぞ……本気で」
「ああ、それは良いの。バイトが跳ねるのが十時ちょい過ぎでしょ? そこから寄り道せずにまっすぐ帰ってきたら大体十一時前後、そこから私を拾って行っても……うん、十分、間に合うわね」
「はぁ? 拾ってどこに行けって言うんだよ……」
 指折り数えていたかと思うと、一人納得した小さな妖精は小さな頭を大きく何度も頷かせ始める。パッと顔を明るくさせるアルトとは対照的に、良夜の顔は怪訝の色が支配していく。そして、それは彼の問いに対する答えがこれであった時点で最高潮に達した。
「どこでも良いわ。空が開けてて、周りが暗くて、曇ってなければ」
「……アルトさん、あなたはわたくしに何をさせようとしていらっしゃるんですか? 降霊術ですか? それともUFOにでも語りかけちゃう?」
 半ば以上バカにしたような声で語りかけても、すでに目的を果たしたとばかりに浮かれ気味な妖精さんが意に介すことはない。ブンブンと明るい金髪を大きく左右に振って、彼女は明るい声で言い切った。
「ううん、星! 流星群を見に行きたいの!」

 と、言うことでバイトが終わった夜十一時少し過ぎ。良夜はバイト先のスーパーから喫茶アルトにまで戻ってきていた。ペルセウス座流星群が見えやすくなるのは月が沈む午前一時過ぎ、もっともよく見えるのはペルセウス座が天頂付近に上る三時くらいらしい。
「まだちょっと早いんだけど、家に帰ると大儀になるかなぁ……訳なんだけど、美月さん?」
「はい、なんでしょう?」
 アルトを迎えに来た喫茶アルト駐車場には彼女がいた。お風呂上がりの濡れた髪、だけど、服は寝間着じゃなくて半袖のワンピース、手にはちゃんと虫除けスプレーが握られている。常日頃、察しが悪いと評される良夜にも判るほど、彼女はついてくる気満々だった。まあ、話の流れでポロッと美月に漏らしてしまったのは良夜だし、美月の性格上、知ればついてくるだろうなぁ……と思っていたので大きな驚きはない。
 が、一つだけ聞いておく必要がある。
「えっと……一応、三時くらいまで星見てようかなぁ〜? とか、思ってるわけですが……明日、仕事ですよね?」
「はい、大丈夫です! なんと、今日のお客様は良夜さんと直樹くんを含めてたったの四人です! 多少寝不足でも大丈夫ですよぉ〜」
 夏休み、しかもお盆となれば喫茶アルトは暇を極める。彼女は満面の笑みでぽん! と胸を叩き太鼓判を押した。
 そして、数秒の沈黙を経た後、コトンと小首をかしげて良夜に尋ねる。
「……あの、喫茶アルトの営業は大丈夫なのでしょうか?」
「……良夜に聞いてどうするのよ……」
「……――と、アルトも言っているとおり、俺に聞かないで……まあ、去年もそんな感じだったから、大丈夫なんじゃないんですか……?」
 そんな軽い漫才をやった二時間後、良夜達は良夜がアルバイトをしているスーパーのすぐそばにいた。二時間後なのはここに来る前、喫茶アルトに招き入れられ、アルトの余り物と良夜が持ち帰っていた廃棄お総菜でちょっとした食事会が執り行われていたから。ちなみに美月はしっかり食事を取っていたはずなのだが、その場に用意された食べ物をちょこちょことつまみ食い。太るんじゃないんだろうか? と軽く心配した物だが、美月は太りにくい体質なので大丈夫らしい。
「へぇ……ここ? 星を見るにはちょうど良い感じじゃない? 天の川が見えてるわね?」
 車から降りるとアルトは空を見上げて小さな声で呟いた。良夜がバイトをしているスーパー、その裏手にある従業員用の駐車場は表通りからの街灯も届かず、その正面はすぐに海。営業が終わっているから敷地内の明かりも全ての灯が消されて、真っ暗。アルトに「空が開けてて、他に明かりのない場所」と言われて、まず思いついたのがここだった。
「まだ、早かったな?」
「うーん……下の方、雲が出てませんか?」
 アルトに続いて良夜と美月も下りて、空を見上げる。美月が言うとおり、遙か遠くに見える水平線の上、ぎりぎりの辺りには雷雲、時折きらめくように光る姿までがはっきりと見える。それでも、大学のそばで見るよりもすこし濃いめに見える天の川、星の数もいつもよりも多く見えているような気がした。
 そんな星空を見上げたまま、良夜はぺたんと熱気の残るアスファルトの上に腰を下ろす。そのまま、コトンと車のボディに頭を預けて、空をぼんやりと見上げれば、かなり楽ちん。地べたに直接座るのもどうかと思うが、まあ、どうせ誰が見てるわけでもない。
「えへへ……」
 すると、美月も良夜を真似るように彼の隣にぺたんと腰を下ろす。少しはにかんだような表情、大きな黒い目が彼を見つめる。その瞳の色に鼓動が早まり、それを、
「スケベ……」
 頭の上、車の屋根から降り注ぐ侮蔑混じりの声に指摘される。
「大きなお世話だ」
「ん? どうかしました?」
 ぼそっと呟いた言葉は隣の美月にしっかり伝わり、彼女は良夜の顔を見上げながらに尋ねる。
「アルトのアホがスケ――ああ、それより、服、大丈夫ですか?」
 それをごまかすように質問で返せば、彼女はわずかながら小首をかしげながらも、大丈夫と答えた。
「汚れても良い服ですから……それより、髪が……」
 未だ、シャワーも浴びてない良夜と違って、彼女は湯上がり。ドライヤーはしっかりと掛けているようだが、それでも彼女の髪にはシャンプーのにおいが混じる。良夜のまねをして、車の、それも丁寧に洗車をしているとは言えないボディに預けるのは、毎晩、枝毛チェックをするほど髪を大事にしている美月には抵抗感がある様子。
「あっ……えっと……」
 わずかな逡巡、チラリと上を見れば興味深そうにボンネットの上から覗き込んでいたアルトがプイッとそっぽを向いた。
「えっと……じゃぁ、こうしたら……」
 そう言ってそっと美月の肩を抱き寄せ、彼女の頭を自分の胸元へ……
「あっ……うん……ありがとうございます……」
 彼女の体に力がこもったのは一瞬よりもさらに短い。彼女の体はそれがごく自然であるかのように、胸の中へと抱かれる。いっそう強くなるシャンプーの香。高まりすぎた鼓動が美月に聞こえないだろうか? つか、それ以前に、仕事終わった直後、シャワーも浴びてない体では汗臭くないだろうか? 等々……今更言ってももはや手遅れな心配が頭の中をぐるぐると回り続ける。
「そこまでは許すけど、それ以上、何かしたら……本気で刺すわよ?」
「だから、通訳しにくい……あっ」
 しまった……とつい言ってしまった台詞に良夜は息を呑む。このパターンで結果的にアルトの言葉――それも自分にとって都合の悪い言葉を言わされたことは数知れず。自分のうかつさ、こりなさ加減と毎度毎度言いにくいことを言ってくれる妖精に思わずクソっと吐き捨てるように呟く。
 されど、彼の心配は杞憂に終わった。
「寝てるわよ?」
「えっ?」
 アルトの声に美月の顔を覗き込めば、彼女はすーすーと心地よさそうな寝息を立てての熟睡中。一安心と言えば一安心、それと同時に、
「男として見てないんじゃないのかしらね?」
 ボンネットの上からアルトの声。彼女が言ったとおりの不安感を覚えないと言えば嘘になる。
「ホント、無防備な人だよな……」
 ペチンと軽く頭を叩いても、華奢な体を軽く身じろぎさせるだけで、起きる様子はない。
「……暇なのも疲れるのよ。最初の一つ目が流れるまで寝かしておいてあげなさい?」
 ボンネットの上、アルトも寝転がっているのだろう、実距離よりも遠くに聞こえる声を聞きながら、良夜はぼんやりと空を見上げた。多少、下の方に雲も見えるが概ね満天の星空。見ないのももったいないと思うが、少しくらい寝かせておいても良いと思う。
「ああ……そうだな……最初の一つ目か……いつ流れるんだろうな?」
「さあ……? 相手は時計で動いてるわけでないものね? 月はもう大体沈んだみたいだけど……」
 一番よく見えるのは三時くらいだろうとのことだが、その前後も十分観測に適した条件らしい。もっとも、観測に適するかどうかは下の方でやたらちかちか光っている雷雲の気分次第だろう。あれが上に来てしまえば、その向こう側がどうなっていようが関係ない。
「保つかな……?」
「後、一時間や二時間は保つんじゃないのかしら?」
 美月の髪を指先でもてあそびながら、良夜はアルトと言葉を交わす。そして、のんびりと夜空を長めながら星が落ちるのを待ち続けた。
 ぼんやりとした時間、アルトも良夜もいつ星が流れるかと言葉少なにその時間を待ち続ける。そんな時間が三十分ほど続いた。その後……
「あっ……」
 ボンネットに寝転がっていたアルトが声を上げる。小さな声だが、潮騒くらいしか聞こえないここでは十分な音量。
「今、流れたわ。下の方。雲の少し上」
 彼が頭上に視線を向けるよりも早く、妖精が流れた場所を教えるが、すでに遅い。その辺りに視線を向けてもとっくに消えた後。彼に出来ることと言えば、「ああ」と嘆息を漏らすことだけだった。
「仕方ないじゃない……あっという間なんだから……って、その恨みがましい視線、止めてくれるかしら? それよりも美月、起こさないと、拗ねるわよ?」
 そんなつもりは……ないと思う、たぶん。余り自信はないけど……と、胸元で心地よさそうに眠り続けるお嬢様、彼女の肩を軽く揺すり、良夜は声を掛けた。
「美月さん、流れ星、見え始めましたよ」
 しかし、普段から血圧低めで寝起きの悪い彼女のこと、優しく肩を揺すって声を掛ける位じゃ、起きやしない。むしろ、フニッと子犬のように鼻を鳴らすと、ギュッと強く良夜の体を抱きしめる。
「うおっ!?」
 お肉はついてない割に柔らかい体、フワッと薫るシャンプーとリンスの香がたまらない。
 上から聞こえる……
「わくわく」
 この声がなければ、男としてどうにかなっていたかも知れない。しかも、彼女のストローが良夜の顔を、それも目の辺りにロックオンされてるのがコワイ。
「イヤ、あの、美月さん? 起きてくれないと……――」
 しどろもどろ、ぐいっと体を引きはがそうとしても彼女は嫌がるように腕に力を込める。胸に顔全体を埋められれば、彼女の美しい黒髪が良夜の目と鼻の先。ドキドキ感はさらに加速、どうして良いのかさっぱり判らない。判らないのに、アルトは頭の上でストローを臨戦態勢にさせての「わくわく」だ。声のトーンは先ほどよりも下がっているような気がする。
 そんな、軽く命がけのロマンスの中、美月は言った。
「……臭い枕ですぅ〜」
「あんた、失礼だろう!?」
 次の瞬間、顔を真っ赤にした良夜の平手が美月の頭上に降り注いでいた。
 そして、さらに次の瞬間。
「女に手を挙げるなっ!」
 で、刺されていた。

「ふにぃ……あっ、りょーやさんですぅ……頭が痛いですぅ〜」
 寝ぼけ眼、ごしごしと目を擦りながらようやく彼女は体を起こす。ついでに頭、後頭部もしきりにさすっているような気がするが、そっちは見なかったことにした。
「そろそろ起きないと、流れ星、見損ねますよ?」
 先ほどよりも密着度は遙かに低いが、それでも胸に美月を抱きしめたまま、良夜は言った。すると美月もバネ仕掛けの人形のようにぱっと顔を夜空に上げる。
「どこですか?!」
「どこって……」
 夜空を見上げて、キョロキョロと頭を動かす。胸元を撫でる髪をくすぐったく思いながら、良夜は苦笑いを浮かべる。簡単には見える物でもないだろうに……と。
「すぐには見え――」
「あっ、流れましたよ?!」
「……くじ運良い人だなぁ……」
 アルトをして『運だけで人生渡ってる』と言わしめる彼女。早速のプレゼントに彼女の顔が華やぐ。よっぽど綺麗に見えたのだろう、身振り手振りを交えていかに流れ星が綺麗だったかを良夜に語って聞かせ始めた。そして……
「あっ、またですよ〜今度は尾が長かったです〜」
 嬉しそうな声、しかし、良夜は未だに一つも見ていない。なぜなら、良夜の胸元から彼を見上げている美月に対して、良夜は美月の顔を見下ろすような形だったから。美月は良夜の顔越しに夜空を見上げられるが、良夜が美月の顔越しに見えるのは自分のお腹と胸元だけ。
「えっと……俺、あっち、見ても良いですか?」
「ふぇ? ああ……あはっ、邪魔しちゃってましたね?」
 苦笑いと共に夜空を指さすと、美月も少しだけ苦笑いを浮かべて頷き、少しだけ体を動かした。
「あっ……流れた……」
 予兆もなく星が流れ、消える。長い尾だけが刹那の時間だけ夜空に残っていたような気がしたが、それも今となっては星の海に紛れて、余韻を探すことも出来ない。
「私、見えませんでした……」
 美月が少し残念そうに良夜の顔を見上げて呟く。しかし、すぐに彼女も夜空へと視線を向けて口をつぐんだ。互いの吐息も鼓動さえも聞こえるような距離で二人は夜空を見上げ続けた。
 そんな時間の中、夜空を流れる星の数が次第に増え始める。
 長い尾を持つ物、短い物……浮かんでは流れ、そして消える流れ星。明るい星の中でもひときわ明るく流れ星がきらめく。当初こそ、競うように数を数えていた二人も、次第に言葉数が減り始めていった。
「綺麗ですねぇ……」
「ええ……凄く……」
 口から漏れるのは淡泊な賞賛の言葉と見つけた時の反射的な歓声だけ。
「良夜さん……」
 ふいに投げかけられる声、うつむけば美月は頬を朱色に染めて目を閉じていた。誘われるように良夜は彼女の首に腕を回して……
「キスするの?」
 と言う声を後頭部で聞いた。
「舌は入れるの? 絡めるの? ない胸は触れないから諦めるの?」
 淡々とした声が背後から聞こえた。振り向いて確かめてはいないが、声の近さから言うと車の屋根からではない。もっと近い所、つか、ストローの切っ先が耳の後ろに当たってる。
「……二分で良いから後ろ向いてろ」
「二分もキスするの? 窒息するわよ?」
 耳元、すぐ後ろからはアルトの声、目の前には目を閉じて良夜を待つ美月、二人の女、それも概ね美人だと思われる女性に、彼は挟まれていた。
「……じゃぁ、五秒で良い」
「早いのね……そう――」
「それ以上は言うな」
 なのにちっとも幸せ感がないのはどうしてだろうか? 彼は不思議だった。
 小さな声でのやりとりが終わるよりも早く、ぱちっと美月のまぶたが開く。黒い瞳と良夜の視線が交わった。
 何とも言えない沈黙。彼を見上げる瞳がパチパチと数回瞬きをする。髪も綺麗だけど目も綺麗だなぁ〜と思ったのはある種の現実逃避だったのかも知れない。
 その沈黙を破る美月の一言。
「根性なし」
「いや、だから、アルトがね――」
「ヘタレ、にぶちん、優柔不断、ついでに甲斐性なし」
「だから、アルトがっ!!」
 言い訳に聞く耳を持たず、彼女はすっくと立ち上がる。パンパンとスカートのお尻を払うこと数回、やっぱり、にこりと微笑んで彼女は言った。
「男の言い訳はみにくいですよぉ? 根性なしの良夜さん」
 直後に振り返り、きびすを返そうとする美月、その背中に良夜は少し大きめの声を掛ける。
「イヤだ、だから、アルトが見てたからだって!」
 美月の長い髪がふわりと揺れ、再び振り向けば、じとぉ〜っと不信感を隠さない瞳が彼を見詰める。
「……だからですか? ものすごぉ〜〜〜く、私が恥ずかしかったことは理解してますか?」
 未だ彼女はかなり不機嫌、不機嫌さを隠さない声に良夜の首はそれしか動きを知らぬおもちゃのようにコクコクと何度も頷く。
「じゃぁ……アルト、あっち、向いててくださいね……恥ずかしいんですから……」
 美月はそう言って一歩の半分ほど良夜に近づいた。そして、良夜も同じだけ近づく。二人の体の間は拳一つ分にも満たず、互いの鼓動がかすかに聞こえるほど。
「十秒だけよ?」
 そんな声は聞こえないふり。伸ばせば届く所に手を伸ばし、柔らかい体をそっと抱き寄せる。
「んっ……」
 闇の中、二つだった陰は一つになり、その頭上を特大の流星が流れた。

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