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 ナース姿の彼女は大きめの胸を更に誇張するかのように逸らしながらそう言った。その手にはIntel入ってるとWindowsMEのマークがまぶしいノートパソコンが一つ。冷静に考えてみて理解できるのは、『ナース』と『茄子』を掛けてるんだなって所だけだ。
「これ『富士』通のノートパソコンの中でも一番高い奴なんです。富士TWO高い……富士二『タカ』い……そして、私はナースの美人……ナース美人、ナース美……なすび! これで一富士二鷹三茄子! わぁい!」
 ナースキャップの両側から覗く狐耳が嬉しそうにピクピクと動き、尻尾もパタパタ。それを見ている三人、哲也、健二、透は内心頭を抱えた。なんで元旦早々、初詣に来たお稲荷さんで自称お稲荷さんのお使いの狐さんがぶちかます親父ギャグに付き合わなければならないのか? 人生は理不尽なことで一杯だな、と……
 冷たい視線と冷たい空気の中、わぁいと無邪気に喜んでいたのもつかの間。狐耳娘はその空気を的確に読んだ。
「あっ……あの、個人的には渾身のギャグだと思ったのですが、駄目でしょうか?」
 おずおずとした表情で語りかける自称お稲荷さんのお使いに、透は冷たい声で言い切る。
「十五カエレ」
「十五……カエレ?」
 聞き慣れぬ言葉に自称狐さんが愛らしく小首をかしげた。年の頃なら十代後半か二十ソコソコ、哲也よりも頭半分くらい小柄――狐耳を除く――で、大きなタレ目と明るい茶髪が特徴的、平たく言えば可愛い女性……なのだが、初詣客をひっつかまえてくだらない親父ギャグをぶちかます自称お稲荷様のお使いを素直に『可愛い』と呼ぶほど、哲也は甘くない。
「布団がふっ飛んだぁ〜を一カエレとし、その何倍つまらないかを表現する二研伝統の単位。累積百カエレで大地に帰らされるという鉄の掟アリ」
「えっ……えぇぇぇぇ!!! 私の五年越しのギャグが、布団がふっ飛んだぁ〜の十五倍もつまらないんですかっ!?」
 健二の説明に彼女は更に顔色を暗くした。そして、ノートパソコンを小脇に抱え、冷たい地面にのの字を書き始めた彼女、見つめる三人の脳裏を支配するのはたった一つの言葉だけ。
(早く帰りたい)
 ちなみに来たのは三分前で、まだ、初詣も終わらせては居ない。

 彼ら三人は新年早々赤貧に喘いでいた。理由は去年の年末、クリスマスイブに健二を恋人に引き合わせるため、高速を往復で十時間も爆走してしまった所為だ。その高速料金とガソリン代、ついでに現地で遊ぶお金と、仕事熱心なお巡りさんに支払う臨時税金――平たく言うとスピード違反の反則金、全部併せて十万は下らぬ金額を彼らはたった一晩で使い切った。そりゃもう、せっかく年末年始の冬休みだというのに帰省する金どころか、自分の愛車に入れるガソリン代すら底を突いた有様。
 ない金をなんとかやりくりして調達した安酒も、大晦日の夜からずっと飲みっぱなしでもはや一滴もなし。やってるテレビ番組はどれもこれもつまらない物ばかり……率先して自ら勉強をするほどに真面目でもない三人は、持て余した暇を潰すため、天気も良いことだしと大学すぐ裏にある寂れたお稲荷さんへと初詣にやってきた。歩いていける範囲に神社仏閣の類がこれしかないからだ。
 十五分ほど歩いて辿り着いたのは、大体畳十畳くらいの土地を汚いブロック塀で囲んだだけの場所に、小さな社と賽銭箱がポツンとあるだけの寂れたお稲荷さん。なんでも二研、二輪車研究会の先輩がデートの時に使う穴場らしい。どういうデートなのかは聞かぬが華である。
 そこで待っていたのが彼女だった。
「こんにちは! 皆さんのお稲荷様のお使い、狐さんですっ! ささ、奥へずいーっと。そして、お賽銭をたっぷり投げ込んで下さいッ!」
 ノリノリで社から飛び出してきた彼女、その彼女の姿は上記の代物、白いナース服と小脇にノートパソコンだった。そしてそれを見た哲也は、止めときゃ良いのにそれを律儀にも尋ねてしまった。
「なっなんだよ……その格好」
 思わず呟いた言葉に透と健二は天を仰ぎ見、彼女は待ってましたとばかりに冒頭のような説明をしたのだ。そして――
「五年前のクリスマスの夜のことでした。何となくこのギャグを思いついた私は、翌年最初の初詣客に披露しようと準備を整えていたのです」
 当初のハイテンションはどこへやら。渾身のギャグを『十五カエレ』と評価された彼女は、ガックリと肩を落とし、ボソボソと話し始めた。その間も指先は地面にのの字をかき続けている事は止めない。正直、かなり鬱陶しい。
「ですが、このあたり、年末年始は皆さん帰省で居なくなると言うことを私は失念してしまっていて……」
 ド田舎にある私立大学、大きな企業があるわけでもなければ、市街地へのアクセスが便利というわけでもないこのあたり、住んでいるのは一人暮らしをしている大学生くらいのもの。当然、そう言う学生連中は年末年始になればとっとと帰省してしまう。それに今時の大学生がお稲荷さんを訪ねるなんて事もあまりなく、来たかと思えばホテル代わりに使うような不心得者ばかり。
 毎年毎年『最初の初詣客をこの格好で出迎えよう』と思い続けて、早五年。そろそろ諦めようかと思ったところに彼ら三人がやってきたというわけだった。
「五年も待ってたんだ……」
 健二の言葉に狐耳娘はこくこくと何度も首を上下に動かした。
(致命的に馬鹿だ)
 三人は一様にそう思った。
「別に良いんです。お三人さんが来てくださいましたから。例え、渾身のギャグを布団がふっ飛んだぁ〜の十五倍つまらないと評価されようとも、私に思い残すことはありません、とは言っても別に死ぬわけではありませんので、安心して下さい」
 涙を袖で拭いて顔を上げる狐娘、拭いた袖はもちろん白いナース服。右手の裾で涙を拭きながらも、左手は哲也の袖を握って離さない。
 そんな様子を見た三人は、それぞれにお互いの顔を見合わせ、お互いが諦めていることを確認しあった。ともかく、この狐耳の娘は彼らが初詣を済ませないことには帰らせないつもりらしい、と。
「じゃぁ、とりあえず、初詣して帰るか……」
 哲也が一同を代表してそう言うと、三人はそれぞれのポケットに手を突っ込み、中に眠っている小銭を一枚取り出す。それが賽銭箱の縁にあたりちゃりぃ〜んっと軽い音を立て転がり込んだ。パンパンと手を合わせる音が三つずつ。一応は静かに三人は願い事を心の中で呟いた。
「ケチンボ……コホン、承りました」
 三枚の硬貨が五円玉だったことに、彼女の白いほっぺたが膨らみ、膨らんだことを誤魔化すかのように大きな咳払いを一つ。小脇に抱えたノートパソコンを胸の前で抱きしめ直すと、彼女は居住いを正した。
「透さんが『今年も甘い物が欲しい』ですね。糖尿病になって死にたいんですか? 健二さんが『世界平和』……偽善者」
 もちろん、三人は自分の願い事を口に出したりはしていない。それどころか、三人とも彼女に名乗った覚えすらない。この辺は一応、お稲荷様のお使いを自称する狐らしい特殊能力なのかも知れない。もっとも、ナース服でノートパソコンを抱えているという時点で突っ込みを入れる気力など、哲也には残っていなかったし、他の二人もほぼ同様だった。
「透、お前の頭の中は生クリームしか入ってないのか? それから健二の偽善者」
「ンな事無いよ。チョコレートへの愛も忘れてないから。それから健二の偽善者」
「偽善者って言うな、このコスプレねーちゃんにまともな願い事なんて言えるか」
「失礼ですね、バチを当てますよ? 偽善者の健二さん」
 口々に偽善者と言われ、今度は健二が地面にのの字を書き始める。コスプレ狐耳ねーちゃんがいじけるのも鬱陶しいが、身長百八十を超える独活の大木がいじけるのはもっと鬱陶しい。当然、哲也も透も、狐耳姉ちゃんすら彼を放置することにした。放置されると更にいじける十九歳。マジでウザイ。
「透さんの『甘い物』は五円じゃ無理ですね。五円ではチロルチョコも買えません! 偽善者健二さんの『世界平和』の方ですが、お稲荷さんは地域密着がモットーですので、地域平和くらいで勘弁してください! ちなみにここから半径五百メートルが私のテリトリーです!」
「どうでも良い……真下さん、俺、地元に帰りたい……」
 健二は意外と打たれ弱い男だった。もちろん、鬱陶しいので誰もが無視を決めてこんでいる。
「じゃぁ、甘い物を食べても太らないように、って言うので――」
「そんな都合の良いことが出来るのでしたら、私自身がやりますっ!!! 狐、舐めると、七代祟りますよっ!?」
 透の言葉に、狐娘がくわっ! と大きなタレ目を限界にまで広げて彼を威嚇した。八重歯というか牙の光る口からはフーッと言う威嚇音がほとばしる。威嚇されているのは透だが、端で見ている哲也までも威嚇されている気分になる代物。それほどまでに彼女の顔は恐かった。さすがは肉食動物。これにて透も轟沈、放置されていじけている健二の横で、ガタガタと怯え始めた。
「これでお二人のお願いは片が付きました。残るは哲也さんのです!」
「あっ……俺、良いから。うん、狐さんの心の中で――」
「彼女になって欲しいっ! 私達、出会ったばかりですよ? でも、哲也さんなら……妥協しても良いかなっ! って!」
「ちっがぁう!! 彼女が欲しい、だ!! それと、妥協って言うな!!」
 ノートパソコンを胸に抱きつつくねくねとタコ踊りを繰り返す狐娘に、哲也の訂正の言葉など届きはしない。
「おめでとう、哲也。今年のバレンタインは安泰だな」
「じゃぁ、俺たち帰るよ。初詣も終わったし」
 先ほどまでいじけていた健二と怯えていた透が立ち上がり、ポンと哲也の肩を片方ずつ叩く。その顔には『後は任せた』と書いてある。
 こうして哲也は新年早々、狐に憑かれることとなった。

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