140 ----------------------------------------------------------------------------- この物語はフィクションであり、実在するいかなる人物、団体名とも関係ない ----------------------------------------------------------------------------- 災害時の人間の行動パターン 「ライフラインvs娯楽ライン」 自治会の防災訓練に参加しての感想 寒い12月の朝、非常持ち出し袋を背負って公民館に向かう、ここは第1の避難場所 そこで点呼をとって山の中腹の小学校に向かう。普段行き慣れた道であるが寒さと 背中の荷物の重さ、年齢のためか少し遠く感じた。周りの人は70歳くらいの人が 多い。普通より遅く小学校に到着した。小学校では 消防署の人が来ていていろいろな体験を出来るようになっていた、 この日は児童や保護者も登校していた。 県と消防署による地震の揺れ体験 震度7はへたなアトラクションより凄い揺れになる。 意外であるが縦揺れは対処しようがないことに気がつく。  他には消防署員による簡易担架の作成方法や三角きんの使い方 AEDの使い方の講習会があった。 いろいろな体験をしてから帰途に着く、行きと違い帰り道は良く周りを 眺めながら帰った。 最初に考えたこと  避難所にどうやってたどりつくか  このあたりは古い家屋が多く狭い道の両側はブロック塀の場所が多い、  地震になった場合おそらくブロック塀が倒れて道を塞ぎ車では通れない。  一部ブロック塀ではなく木を植えた生垣のある家もあった。  かつてはトトロに出てきたように生垣があちこちにあったがいつの間にか  ブロック塀になってしまっている。  今から考えたら生垣はけっこう良いかもしれない。  老朽化して崩れることは少ない、根が張っていれば多少揺れても倒れない。  きちんと手入れをしていれば50年以上持つ。倒れても手でなんとか取り除ける。  区画整理で無くなったり、手入れが面倒なのでブロックになったのかもしれないが。  このほかにもいといろな場所が目に着く。  橋もけっこう沢山ある、近くにため池や用水路もある。暗くなった場合は  移動そのものが簡単ではないことに気づく。 安否確認  通信手段が全滅するとどうにもならない。実際安否確認する余裕はない。  近所付き合いが無いと難しい。避難所での自己申告らいである。  最近の例:大雪で停電、道路通行止めの集落の安否確認。 IP電話化で停電して孤立した地域の安否がやりにくくなっている。  田舎の集落では高齢者が携帯電話を持っていない。山の中なので電波も  とどきにくい。基地局が停電などなかなか難しいようである。  昔ながらの局給電型の黒電話ならすこしはましかもしれない。  災害時に有効な黒電話を無くそうとしているのはNTTかもしれないが… 通信キャリアは「ライフライン」を「娯楽ライン」に変えようとしている。  今は「OTAKUラインかもしれない」 本能的に「ここは危ない、ここは安全」で行動すればよいが…  「ここにはXXがあるがあの場所にはない」  という知識や情報を重視して行動する。   最近は危ない場所が少ないのでこのような本能的な判断が難しくなっている。 避難場所に行く道ではブロック塀が倒れそうな場所が何か所かありこの道が  使えるかどうかはわからない感じがした。自動車は通れなくなりそうである。  ---------- ちょっと寄り道---------------------------------------- 別の地域でも同じようなことを自治会で検討していたようである。 聞いたとことによると、このときの話題は外国人が避難所に来た時どう 対応するかがのようであった。。国別に分ける、宗教別に集めて案内する などのような議論だったらしい。なんか議論の方向が違う感じがすると思った。 若い人が多いのか、外国人が多いのか、ちょっと驚きであった。 レイヤ1の議論をしている時にレイヤ7の話をされているように感じる。 ----------------------------------------------------------------- 最初の数日どうするか、以降どうするか。留まるか移動するか。 避難もあまり長引くと良くないことが起こる。  物資の入手も難しい。  人は普段物資を求めるには店に行く、普段ここには物があるという知識  がある。買い物で役所・学校・警察署には行かない、普段ここには物が無い  という知識を持っている。今の社会ではそういうことになっている。  目の前にある物、自分の目で確認できたことを基に行動する。  捕らぬ狸の皮算用は災害時にはあまり役に立たない。 TVドラマでは過去の戦争で地方の農家に疎開するパターンがある。 社会システムが崩壊した場合、半自給自足が生き残る道? 今の社会では救援物資はとりあえず役所に届くらしい、でも住民は皆知らない。 この情報を伝えようと躍起になるがこのアプローチは反対である。 店に物があれば情報を伝える必要がないと思うが、現実問題そう簡単に はいかない。 つまり今の社会の構造が人間の行動を制限している、物資を求める為に人は 自然に店に集まる。 普段の行動は人間にとって敷居が低くエネルギーは使わないほうに向かう。 自給自足の時代の社会はマイクロセルの集合体と考えることができる。 農家は当面の食料を持ってる、山奥や田舎ではそうしないと生きてい けない。 また、田舎では隣組というゆるい組織があった、今でいう自治会の小規模 なもの隣近所20件くらいの集合体である。葬式を家でやっていた時代は親がそれ ぞれ手伝いに行っていた記憶がある。他にも互助会的な働きがあった。 物資が豊かになった現代にはプライバシーやその他の問題でこの組織が時代に合 わなくなってきていてこの先どうなるかがわからない。 ただ、自治会そのものはまだ存在している。 非常時に物を手に入れることができる場所を複数考えておく。 考え方を変えることも必要。 TV無し、インターネット無し、携帯電話無しの生活を考える 屋外での農作業や登山などはこれにあたる、別に人里離れた場所 でなくても実現可能である。決して難しいことではない。 単におしゃべりな箱の電源を入れなければ良いだけのことである。 TV無し、ネット無しの1日は意外に充実している。 いろいろ考えることができたり普段見落としているものを発見できたりする。 TVを捨て街に出よう、ケータイを捨て田舎に行こう 何かのキャッチコピーようであるがあまり大げさに考えることはない 別に街でなくても良い、外に出なくても良いが何かに依存しすぎることを 止める努力が必要。今の世の中、本当に必要な物はそう多くない。 振り返ってみると、子供の頃大人たちが言っていた言葉 「池や川には近づくな」「夜道は歩くな」「この時期山には行くな」など 生き残る為の知恵と知識を沢山聞いた記憶がある。 これらは各地域ごとにもあると思う。先人たちの教訓が次の世代に受け継がれて いっていないような印象を持った ---------------------------------------------------------------------