119 7*17 ------------------------------------------------------------------ この物語はフィクションであり、実在する団体、人物とは関係ない ------------------------------------------------------------------ 「有名・無名 ASCIIショック」 アスキーがなくなるかもしれない KADOKAWAがアスキーハイエンド書籍を止めるというニュースが 編集者個人のブログで発表された。 UNIXMagazineなどの編集を手がけた鈴木氏の行き先が気になる。 かつて「BSDなひととき」でいろいろ話してくれたことを思い出す。 UNIXMagazinはASCIIでも聖域であったようで普通の出版社ならあんな に長続きしないということを語っていた。 まだBSDMagazineが世に出ていたころの話である。 ただ週刊ASCIIは残るとのことである。(読んでないけど) この件に限らず書籍の記事を執筆するIT系の著者が減ってきているこ とは間違いない。実際に専門書が減ってきている。 Impressができた時かなりの著者がそちらに流れた感がある。 こちらは今もインターネットのサイトでいといろと発信している。 SuperASCIIは遠くなりにけり。(今から思えば隙間商品) この手の本はその筋では有名であるが一般人からすれば無名である。 書いている内容と売り上げは関係ないので売れ行きは良くないと思う。 専門書は首都圏でしか店頭で手に入らない状況になってきている。 あの紀ノ国屋書店でも高松にある店舗は苦しそうである。 営業時間を短縮したり置いている本の種類を一般受けする部類にシフト してきている。文系と呼べる内容の本はまだなんとかそろっているが 技術書については新規の補充はなさそうである。 最近の人たちは本自体を読まなくなってきているのか本屋も売れ行き を気にして売れそうだと思う本誌か置かなくなってきている。 本屋に置いていなければ読む人は増えない、本屋はショールームの ような位置づけではないかと思う。 実際には本屋で手にとってみて購入を決める人が多いと感じている。 もちろんネット通販でも本は買えるがそのような購買層はピンポイント の指名買いで注文する傾向がある。 SNSやいろいろなサイトの宣伝で買う人もいるようだが数はどうなんだ ろうか。 本という物を商品として見たときどう見えるか。 印刷された紙を束ねたものという不思議な品である。資源という観点から みると紙質が良くリサイクルしやすい大型で厚い物が価値がある。 書いている内容にはあまり関係ない。 買う方の側から見れば体裁より書いている内容が大切。 IT関連ソフトウェア商品の元のような感じである。 なければ無いで生活できる商品、嗜好品のようなものでもある。 広く世間の書かれたことを広めるためにコンパクトになった巻物である ともいえる。ある出版社は書いていることに重きを置いているようで インターネットとデジタル化したデータを使って世間に広めることを 試みている。 文章だけならテキストファイルになっていまい味気ない物になる。 簡単にすませたい人には電子化された書籍は良いのかもしれない。 出版社はある種の「関所」のような役割であった、作家や漫画家は 出版社経由でなければ自分の作品を世に送り出すことができなかった。 デジタル化、ネットワーク化した現代では自分の文書を世に送り出すこ とは不可能ではなくなった。広まるかどうかは別の問題 検索エンジン+Webサイトという組み合わせにより、ある程度の規模 なら比較的容易である。ただ体裁を整えたり査読は行われず誤った漢字 や用語が使われたままになる。けっこう変換ミスが目立っている。 絵がある場合や長文の場合はPDFの様な形式がある。 出版社の事情にもよるが短期的に売れる物を作らないと身が持たない 時代になってきているのか。ある種の悪循環である。 悲しいことにピアソンの日本訳の本もほぼ絶滅状態で良書なのにもう 手に入らない。このことは本屋の技術書のコーナーが面白くなくなった ことに関係しているようである。 リチャードスティーブンスの本はもうどこにも置いていない;-< 技術書に関しては数年前から冬の時代になってきている。 がんばって原書を読むか、インターネットの不完全な情報にたよるか。 エンジニアの苦悩は続く。