109 109=素数 ------------------------------------------------------------------ この物語はフィクションであり、実在する団体、人物とは関係ない ------------------------------------------------------------------ 「一科学者」 いくつかの老齢なエンジニアの書いた本によく登場する人物がいる。 作品も多く引用されている。その人は「寺田寅彦」である。 寺田寅彦の言葉は興味深い物が多い。 いくつかの随筆を読んでみるとたいへんおもしろいことがわかる。 他の文学作品と違い凡人でも読めるやさしい文体で書かれている。 今では一部が青空文庫でも読める。 個人的な感想を言えば、インターネットで少し話題になった 「自炊禁止」と主張する作家の文章よりははるかに価値があるよう に思う。 純文学よりもこのような随筆のほうが自分には会っているように思える 今思い出してみると、学生時代に本嫌いになったのは教科書の例文が 純文学ばかりであったからだと思う。 若い人が本嫌いになるのは案外こんなところにも原因があるのかもしれない。 かと言って若い人が寺田寅彦を読むとも思えないが。 いくつか引用してみる。 昭和六年の文章「地震国防」の最後の文 ---------------------------------------------------------------- 愚かなるわれら杞人の後裔から見れば、ひそかに垣根の外に忍び寄る虎 や獅子の大群を忘れて油虫やねずみを追いかけ回し、はたきやすりこぎ を振り回して空騒ぎをやっているような気がするかもしれない。これが 杞人の憂いである。 ----------------------------------------------------------------- 当時防火演習、空襲演習は盛んに行われているが大地震に対する演習は おこなわれていないことを気にとめた作者が書いた文である。 この随筆の始めの方にはどこかで聞いたような内容がたくさんかかれて いる。今でも「お国の人」は隣の国の脅威を考えているが本当はこの地 の宿命であり、特異な地に築かれている日本を天災から守ることに力を おくべきと唱えているのであろう。 関東大震災の前にかかれた「断水の日」も興味深い。 他にも ---------------------------------------------------------------- 昔の日本は珊瑚かポリプくらげのような群生体で、半分死んでも半分は 生きてていられてた。今の日本は有機体の個体である。三分の一が死ん でも全体が死ぬであろう。 ---------------------------------------------------------------- これも大正末期から昭和初期に書かれたとは思えない内容である。 社会の状況は今とまったく変わっておらず進歩していないことを感じる。 この時代の文学は難しくて理解しにくいが、これは今読んでも違和感が ない。 小さい集落が多く個として生活していた大昔に比べ今は「国家・社会」 という構造をつくって互いに依存しあっている、そのため高度で巨大に なりすぎた社会ではほんの些細なことが命取りになかねないという意味 であろう。 東京一極集中という言葉が大正時代にあったがどうかわからないが これも興味深い内容である。作者は原始的な生物と高等生物の違いに例 えている。この文章は形を変えて複数の作品に登場する。 「科学とあたま」の一節(昭和八年) ------------------------------------------------------------------  頭のよい人は、あまりに多く頭の力を過信する恐れがある。その結果と して、自然がわれわれに表示する現象が自分の頭で考えたことと一致しな い場合に、「自然のほうが間違っている」かのように考える恐れがある。 これでは自然科学は自然の科学でなくなる。 一方でまた自分の思ったような結果が出たときに、それが実は思ったとは 別の原因のために生じた偶然の結果でありはしないかという可能性を吟味 するというだいじな仕事を忘れる恐れがある。 ----------------------------------------------------------------- 頭の良い人は考えが先回りしすぎて大切なことを見落としてしまいがち であるという警鐘にとれる。大発見をする人はこのようなタイプの人で はなく地道に歩いていく人のようで、途中寄り道したり転んだりして 隠れたものを見つけるようである。特急よりも各駅停車の旅でで発見する ことが多いように、他にもなるほどと思うことが書いてある。 「天災と国防」の1節 (昭和九年) -----------------------------------------------------------------  しかしここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れら れがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威 による災害がその劇烈の度を増すという事実である。 その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると 言っても不当ではないはずである、災害の運動エネルギーとなるべき位置 エネルギーを蓄積させ、いやが上にも災害を大きくするように努力してい るものはたれあろう文明人そのものなのである。 ----------------------------------------------------------------- 自然災害の被害を増やしているのは人間の活動そのものという言葉ど おり、人間の作った工作物や複雑になった街が自然災害で壊れてしまう。 その被害が街の発展とともに増えている。堤防を作って水の流れをくい 止めようとしてもそれを乗り越えた場合さらに大きな被害がでる。 柳の枝のようにうまくかわす、全壊・全滅を避けるような考え方で街を 作らないと危険であるという警鐘のようである。 地下街が多い東京も何か考えないと洪水には対応できないのではないか と感じている。当然水を逃がす方策を考えていると思うが。 この1節は特に興味深く読める、そのとおりのことをまじめに書いている。 今でも通用する言葉である、というかあれから何も変わっていない ということか。 もし今の時代に生きていれば、日本の人たち向かって   「お若いの・いったい何を学んできたのじゃ」 とつぶやきそうである。 むしろ昔の歌詞にもあった 「坊や・いったい・なにを・おそわって・きたの」 のほうがしっくりくる。:-) 比べてはいけないがA君の戯言はこの文章に遠く及ばない。