A君のたわごと ----------------------------------------------------------------------------- この物語はフィクションであり、実在するいかなる人物、団体名とも関係ない ----------------------------------------------------------------------------- 「世間」  最近大人たちも「世間」という言葉を使わなくなっていている かつてホームドラマにはよく出てきた言葉である。 世間という言葉に対して思っていいるイメージとは… 「どうやら渡るものらしい」 「どこかに鬼がいるらしい」 というのは冗談で 辞書を引くと 世間:自分と共に世界を形作る、一般の人々 社会:広い意味での共同生活を営む人びとの集団、特定の仲間意識を持つ人たちの集団 Google先生では 世間:World 社会:Society となっていて 世間のほうが広く、社会のほうが狭いということのようである。 すこし調べてみると、 世間が付く言葉はだいたい次のようなものである。 「世間体」 「世間の目 「世間一般の」 「世間知らず」 「世間的」 「世間並」 「世間の荒波」 「世間話」 「世間離れ」 「世間様」 概念的な言葉が多いようである。 一方「社会」に関する言葉はだいたい次のようなものである。 「社会資本」 「社会性」 「社会運動」 「社会事業」 「社会政策」 「社会通念」 「社会的」 「社会保障」 「社会人」 「社会復帰」 堅苦しく組織的、フォーマルな印象を受ける。 しかし、「世間」と「社会」という言葉に関する個人的な印象は逆である。 「世間」とは何か、現実で身近なことだと思う。[私的] 自分の身近な人たち(隣近所)自分と付き合いのある人、生活範囲にいる 人たちという印象がある。「世間の目」「世間体」はまさに そんな感じである。自分の生活範囲が変わると世間の概念・範囲も変わる。 範囲は主観的、ルールはない。 一方「社会」はきちんと領域が区分され第3者が定義したものという印象がある。 そこには「組織」というものが関係しているように思える。[公的] 範囲は客観的、ルールがある。 学校の社会の先生に言わせると、上記の考えは誤っていることになるのであろうが 直感的にはだいたい上に書いたとおりである。 今は「仮想の社会」というものが形成されようとしているが 「仮想の世間」というものはまだ無いように感じる。 仮想の社会、コミュニティというのは実体がないもので 自分の置かれた位置が良くわからなくなってきている。 以前「つながりすぎる社会」でも書いたが 良くわからないままネット上に写真や文章を送信してしまう傾向がある、 そんな人が後を立たないのは「世間の恥」や「世間様に申し訳ない」 という考えが無くなってきているのではないかと感じる。 冒頭に書いた「世間は渡るものらしい」「どこかに鬼がいる」 というのはTVドラマだけではなく ハリーポッターの中に出てきた「3兄弟の物語」の内容も関係している 3兄弟が旅の途中に深くて大きな川に差し掛かり魔法で橋をかけ 渡ろうとすると何者かが現れ行く手をふさいだ、3兄弟は何かやり取りをして そこを渡ったという話である。やり取りの結果それぞれ 「無敵の杖」「蘇りの石」「透明マント」を手に入れるのである。 道をふさいだ者は鬼ではないが何か関連を感じてしまう。 それぞれ強大な力、過去を振り返る力、自分を隠す力があるが 今の世の中では最初の2個は厄介な結果を招きそうである。 最近「XX村」や「村社会」という言葉を聞くにつれ、考えが変わってきて 辞書やGoogle先生は正しいことを言っていると考えるようになってきたた。 つづく